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連載再開! 「TJAR2014 - 30人の勇者たち」 Vol.5 2014年大会ダイジェスト

2015.05.15

 2002年の第1回大会、5名の参加者でスタートしたトランスジャパンアルプスレース(TJAR)。2012年の前回大会がNHK番組で全国放映されたことで、一躍、多くの人から注目を浴びる大会となった。

 今回は、2014年大会の模様を、上位選手の動向を中心にダイジェストで紹介する。


スタート前の開会式は、かつてないほど盛大なものになった(写真=杉村 航)

<1日目、8月10日>
 台風11号の接近により、本来、馬場島(ばんばじま)登山口から劔岳を経て立山・一の越(いちのこし)山荘に至るところを、スタート後、立山駅まで39㎞のロード、そこから材木坂ルートで美女平へ、さらに立山黒部アルペンルート沿いのトレイルで天狗平、室堂(むろどう)を経て一の越山荘へ、というコースに変更された。

 リスクの高い劔岳を回避することになったとはいえ、本来のコースとなる一の越山荘から先の稜線では、台風の影響をまともに受けることが予想された。スタート前のブリーフィングでは、実行委員会代表の飯島浩や、実行委員の一人で過去2回優勝している田中正人から、選手たちにレースの注意点が伝えられた。そのなかで最も懸念されたのはやはり、台風が接近するなかでの判断だった。
 「スゴ乗越小屋を越えたら、もう薬師峠まで行くしかない。留まるか進むか、慎重に判断してほしい」。飯島らはそう注意を促した。

 8月10日深夜0時、富山湾・早月川河口。厳しい選考を勝ち抜いた30人の精鋭が、大勢の観客の声援を受け、太平洋をめざしスタートを切った。
 スタート時は小雨。その後も降ったりやんだりの小康状態だったが、トップグループが立山・室堂を過ぎたあたりから、徐々に風雨が強まる。


1日目、天狗平付近を行く町田は突風にあおられる。この時間、
トップ選手たちは北アルプスの主稜線に入り込んでいた(写真=杉村 航)

 

 一の越山荘をトップで通過したのは、2連覇中の望月将悟。静岡市消防局に勤務し、山岳救助隊員として県内南アルプス山域で活動する山のスペシャリストである。
 望月がスゴ乗越に着いたのは、10日の13時頃だった。風雨は思ったよりも強くない。体力も十分ある。望月は「行ける」と判断し、薬師峠をめざした。風雨は強さを増していくものの、薬師岳山頂までは順調だった。しかし山頂を越えると状況は一変した。薬師岳山荘への下りの風雨の激しさは、想像を超えるものだった。
 望月は、山頂から少し下りたところでツエルトを被ってうずくまり、少しでも風がおさまるのを待つが、ツエルトを引きちぎりそうなほどの雨風が、あらゆる方向から吹きつけた。山の経験が豊富な望月も、ここまでの状況は初めてだった。
 後続の選手たちも同様の経験をする。横殴りの雨がまるで小石のように顔や体に打ち付ける。体を起こすと吹き飛ばされそうな強風に、岩をつかみ、四つん這いになりながら歩みを進めていた。
 望月が薬師岳山荘に着いたのは16時過ぎ。望月は食事をとったり小屋の人と話したりしながら、外の様子をうかがっていた。スゴ乗越を通過した選手が無事なのかも気がかりだった。

 望月から1時間ほど遅れて薬師岳山荘に着いたのは、前回大会2位の阪田啓一郎、および2008・2010年大会2位の紺野裕一、そして今回が3度目の出場となる石田賢生の3選手。その後、飴本義一、大西靖之、船橋智、松浦和弘、山本寛人が到着。
 すでに外は行動不能といえる状態だった。ルール上、山小屋内での長時間の休憩、そして宿泊を含む夜間の利用は禁止されているが、選手兼実行委員の船橋が大会本部とやりとりし、スゴ乗越を通過した選手たちの到着を確認するまで、山荘の中で待機するという異例の措置がとられた。
 山荘に到着した選手は、仲間の無事を案じた。最後の10人目、大原倫が薬師岳山荘に到着したのは21時。大会本部でも全選手の安否確認に追われた初日となった。

 後続の選手たちは、スゴ乗越小屋で15選手(朽見太朗、江口航平、佐幸直也、米田英昭、柏木寛之、仙波憲人、雨宮浩樹、阿部岳史、田中尚樹、西田由香里、飯島浩、千原昇、中村雅美、平井小夜子)、スゴ乗越小屋手前の樹林帯で湯川朋彦、雷鳥沢で3選手(笹岡誠、岩崎勉、福山智之)がビバーク。町田吉広と石川晃が一ノ越でリタイアを決めた。

 

<2日目、8月11日>
 初日から「薬師岳山荘内で待機」という特別な措置がとられたが、レース再開は選手の判断に任せられた。薬師岳山荘の10選手は、翌朝5時から行動を開始した。
 大会実行委員会はこの後のすべての関門とフィニッシュの制限時刻を3時間延長することを発表した。

 雷鳥平キャンプ場でビバークしていた笹岡は、腸脛靭帯の痛みがひかず早朝にリタイア。同じく雷鳥平でビバークしていた岩崎、福山は午前3時50分に行動を開始した。

 台風11号は午前9時に北海道の西で温帯低気圧に変わったが、この日も選手たちは悪天候の中を進む。
 トップグループは、望月、阪田、石田、紺野。台風の前日よりは天候が回復したとはいえ、稜線上は暴風雨。しかし、前日の強烈な風雨を体感した選手たちにとっては、この日の暴風雨は「そよ風」程度にしか感じなかったという。4選手は、槍ヶ岳から槍沢を下り、チェックポイント(CP)の上高地(124km地点)には18時半前に揃って到着。食堂のラストオーダーの時間だったため、CPでのチェック前に食堂へ向かい、食事をとった。
 続いて船橋、飴本が上高地に到着。食堂の営業時間に間に合わず、CPでのチェック後、すぐに出発。ここで4選手に20分ほど先行することになる。その後、松浦、しばらくして大西、山本、さらに1時間ほどで大原が到着。

 上高地から中央アルプスへは、アップダウンの続く約70kmのロード区間となる。途中、危険区間のトンネルを経て、奈川渡ダム(146km)は21時過ぎに飴本がトップで通過、続いて船橋が続く。望月、阪田、石田、紺野の4選手は飴本から1時間ほど遅れて通過。奈川渡の集落で飴本が横になって休んでいる間に、トップが入れ替わった。

<3日目、8月12日>
 3日目の12日へと日付が変わる頃、千原が体調不良によりリタイアを決意。黒部五郎岳からの下りでは足元もおぼつかず、転倒を繰り返したという。食事を摂ろうと地図上で近かった三俣山荘に入ったときには、判断能力が低下していると小屋スタッフに判断され、診療所にて低体温症と診断された(体温はこのとき34℃)。

 一方、関門が3時間延長されたことを知らなかった福山が、上高地の関門まで行動時間が足りないと判断し、双六小屋でリタイアを決意。同じく双六小屋にて、実行委員会代表で選手マーシャルの飯島が胃腸の不調でリタイア。岩崎は上高地の関門時間に間に合わず、失格となった。選手兼実行委員の湯川は、上高地を出発後、目の焦点が合わない症状が改善せず、沢渡(さわんど)でリタイアを決めた。リタイアした岩崎、飯島、福山は、低体温症の診断を受けた千原のサポートへ回った。

 トップを行く望月は、深夜の薮原駅付近で2時間ほど仮眠をとる。その間に阪田、紺野が先行。旧木曽駒スキー場で阪田が休息中、再び望月が首位に立つ。悪天候は続き、選手たちは霧、風、雨のなかを前進する。
 明け方から山に入った望月は、中央アルプスの主峰・木曽駒ケ岳(2956m)、さらには岩稜帯の宝剣(ほうけん)岳、槍尾(ひのきお)岳、空木(うつぎ)岳を縦走、後続を引き離し、独走態勢となるが、このあたりから初めて経験する幻覚、幻聴の症状に見舞われ始める。

■上高地CP出発日時(関門8月12日11:00)
飴本(11日18:45)、船橋(11日18:51)、望月(11日19:10)、阪田(同)、紺野(同)、石田(同)、松浦(11日19:27)、大西(11日20:50)、山本(11日21:20)、大原(11日21:30)、阿部(12日3:23)、西田(12日4:40)、朽見(12日4:41)、米田(12日5:36)、雨宮(12日6:10)、佐幸(12日6:16)、田中(12日6:20)、柏木(12日7:00)、中村(7:00)、江口(12日8:45)、平井(12日8:45)、仙波(12日9:10)、湯川(12日10:58)
※関門通過23名
湯川は通過後、リタイア。岩崎は関門に間に合わず。
(上高地CP以前のリタイア:町田、石川、笹岡、千原、福山、飯島)

 

<4日目、8月13日>
 
大会4日目、8月13日に日付が変わった深夜0時半、駒ヶ根高原から26kmのロード区間を経て、望月がデポジットの市野瀬CPに到着。ここで仮眠をとり、3時に出発した。

 望月から2時間ほど遅れて阪田が市野瀬に到着(6時前に出発)。
 この日、レースが始まって以来、初めて晴れ間が差した。南アルプスに入った望月は、仙丈(せんじょう)ヶ岳からの景色を楽しみながら前へと歩みを進める。だが夜間に入ると再び雨。望月は20時前に三伏(さんぷく)峠小屋に到着。仮眠後、23時頃行動を再開した。

 低体温症でリタイアした千原は、岩崎、飯島、福山とともに13日夕方、新穂高温泉に無事下山した。

 20時過ぎに空木岳を通過した中村が、脚の痛みで、市野瀬の関門には間に合わないと判断、リタイアを決めた。

 またこの日の深夜に市野瀬に到着した山本は、4時間仮眠後、出発するが、低体温の症状が出たことと、残り3日あるところを2日と勘違いし、仙丈ヶ岳を通過後、リタイアを決意。両俣小屋に下山した。

 

<5日目、8月14日>
 トップの望月は、早朝から荒川岳、赤石岳、聖岳と地の利のある3000m級の山々を縦走、15時に茶臼小屋、さらに横窪沢小屋、畑薙(はたなぎ)大吊橋とたどって、いよいよ最後の難関、85㎞のロード区間へ。井川出身の望月にとっては地元ということもあり、多くの声援を受けながら前進する。望月は22時に井川オートキャンプ場に到着、2時間ほど休憩。

 大会5日目、デポジットのある市野瀬CP(244km)は15時に関門締切となり、21人が通過、南アルプスへと入った。

■市野瀬CP出発時間(関門8月14日15:00)
望月(13日3:01)、阪田(13日5:45)、船橋(13日8:06)、飴本(13日9:12)、石田(13日12:17)、紺野(13日12:29)、松浦(13日17:01)、大西(13日17:21)、大原(14日3:57)、朽見(14日4:06)、山本(14日4:30)、西田(14日6:35)、佐幸(14日8:00)、雨宮(14日8:45)、田中(14日9:30)、米田(14日10:51)、仙波(14日10:51)、柏木(14日13:00)、阿部(14日14:50)、平井(14日15:00)、江口(14日15:00)
※関門通過21名
(市野瀬CP以前のリタイア:町田、石川、笹岡、千原、福山、飯島、岩崎、湯川、中村)

 

<8月15日、6日目>
 日付が変わった深夜0時半、望月は行動開始するが、井川ダムで2時間仮眠をとる。その後、アキレス腱、足裏の痛みに耐えながらゴールをめざす。富士見峠を6時頃に通過。静岡市の市街地では随所で地元の人たちからの声援を受けながら進む。望月が勤務する消防署では署員総出での見送り。静岡駅を正午頃に通過。ゴールの大浜海岸では数百人もの観衆に迎えられ、フィニッシュ! 5日と12時間57分で3連覇を果たした(2010年は5日間5時間22分、2012年は5日間6時間24分)。

 2位の阪田は、荒川小屋に望月から5時間ほど遅れて到着。続いて飴本、船橋と約2時間の差で続く。船橋の6時間ほどあとに紺野が続き、さらに3時間後、日付が変わって石田が続いた。

 6日目20時、関門締切時刻を迎えた三伏峠小屋には、すでに19人が到着。関門に間に合わずリタイアとなったのは平井。塩見岳にたどり着くも日が落ち、濃霧で暗いなかでの行動は危険と判断。塩見岳山頂付近でビバークすることを決めたという。平井は16日11時に三伏峠に到着後、下山した。
 関門時刻に間に合った江口は、自らの疲労度合と体力等を考慮し、リタイアを決断した。

■三伏峠CP通過時間(関門8月15日20:00)
望月(13日23:20)、阪田(14日4:30)、飴本(14日7:22)、船橋(14日9:34)、紺野(14日13:10)、石田(14日15:??)、大西(15日1:39)、松浦(15日1:39)、朽見(15日4:57)、大原(15日10:20)、佐幸(15日12:45)、雨宮(15日13:00)、西田(15日13:00)、田中(15日14:10)、米田(15日16:30)、仙波(15日16:35)、柏木(15日18:30)、阿部(15日19:59)、
※関門通過18名
江口は15日19:45に関門到着後、リタイア。平井は関門に間に合わず。
(三伏峠CP以前のリタイア:町田、石川、笹岡、千原、福山、飯島、岩崎、湯川、中村、山本)

 

<7日目、8月16日>
 日付が変わり朝5時すぎ、今回が3度目の出場となる飴本が6日5時間6分で、2位でゴール。続いて選手マーシャルの船橋が3位でフィニッシュ。記録は6日6時間54分だった。

 夕方16時をまわり、前回2位の阪田と、終盤のロードで阪田に追いついた石田が揃ってゴール(同着4位)。大勢のギャラリーに囲まれながらフィニッシュゲートを通過し、2人で海に飛び込んだ。過去2大会に出場しながらいずれも高山病の症状で途中リタイアだった石田は、3度目の挑戦で悲願の完走を果たした。
 21時過ぎ、ともに前回も完走を果たしている松浦と大西が同着6位でゴール。7日間以内の完走を果たした(6日21時間4分)。序盤から抜きつ抜かれつで進んだ2選手は、抱き合って互いの健闘をたたえ合った。終盤のロードでは互いの存在が支えになったという。

 15日20時に三伏峠を通過した阿部が、体調不良でビバークするも体調が戻らず、小河内岳付近でリタイアを決意。16日は小河内岳避難小屋に泊まり、17日朝、三伏峠まで戻って下山した。
 三伏峠を14番手で通過した田中が、茶臼小屋にてタイムオーバーとなりリタイア。
<8日目、8月17日>田中(15日14:10)、阿部(15日19:59)

■井川オートキャンプ場CP通過時間(関門8月17日7:00)
望月(14日22:00)、飴本(15日10:58)、阪田(15日15:10)、船橋(15日15:43)、石田(15日??)、大西(16日7:58)、松浦(16日7:58)、朽見(16日12:57)、紺野(16日13:50)、大原(17日1:00)、西田(17日5:15)、雨宮(17日6:30)、仙波(17日6:43)、米田(17日6:56)、佐幸(17日7:15)、柏木(17日6:50)、
※関門通過16名
(井川オートキャンプ場CP以前のリタイア:町田、石川、笹岡、千原、福山、飯島、岩崎、湯川、中村、山本、平井、江口、阿部、田中)

 いよいよ2014年TJARも終盤戦。
 7番手で進んでいた朽見が、終盤のロードに苦しみながらも、深夜2時半にゴール(8位)。
 午前7時、井川オートキャンプ場は関門締切時刻を迎え、西田、雨宮、佐幸、米田、仙波、柏木が夜間から朝にかけて通過したが、田中は間に合わず、失格となった。

 15時をまわり、ゴールの大浜海岸では9位で大原が涙のフィニッシュ。7日15時間18分だった。

 中盤まで上位グループに位置していたものの南アルプスに入って以降、足の痛みで大幅にペースを落とした紺野は、ロードでは歩くのがやっとの状態ながら、歩みを止めず進み続け、19時20分に10位でゴール。レース中のさまざまな場面で役立ち「相棒になってくれた」というヘルメットに感謝の気持ちをこめて、自らよりも先に太平洋の海水につけた。

 22時過ぎ、途中で左足大腿部の肉離れを起こしながらも我慢の走りを続けた西田がゴール(11位)。今大会女子選手のなかで唯一、また大会の歴史のなかでも間瀬ちがや、星野緑に続いて史上3人目の女性完走者となった。
 続いて雨宮、そして米田も23時過ぎにそれぞれ12、13位でゴール。夜遅くにも関わらず、大浜海岸では多くの観客がゴールを祝福した。


雨宮は8日間以内で完走を果たした(写真=宮崎英樹/MtSN)

 

 この日、満身創痍ながら最後尾でレースを進めていた仙波が、ゴールの制限時間に間に合わないと判断し、富士見峠でリタイアを決めた。

 日付が変わり、9日目の18日。深夜2時をまわって佐幸が14位、そして2時半、最終完走者となった柏木が15位でフィニッシュを果たした。


 今大会は2日目以降も安定しない天気が続き、晴れたのは13日と最終日のみという過酷な気象条件となった(最終日も山間部は雨)。そんななかでも、多くの試練を乗り越え、15名の選手がゴールの大浜海岸に辿り着いた。

 大会を振り返り、実行委員長の飯島は次のように語る。
「大会の歴史上でも最も過酷なコンディションとなった。初日に10人の選手が台風の影響でやむをえず薬師岳山荘内で一時待機という状況になったが、TJARの理念は、すべて自己責任で自己完結するというもの。実際、スゴ乗越ではビバークも可能な状況だった。そもそも台風のなかの登山というありえないことをやっているわけだから、責任ある行動と判断とはどういうことなのか、冷静に考えてほしかった」
 また、大会3日目の12日に低体温症と診断されリタイアした千原は、すでに自力では下山できない状態だった。何度も転倒を繰り返し、打撲を負った顔面は腫れ、ウェアも破れた状態だったという。すでにリタイアをしていた福山、岩崎、飯島がサポートに向かい、無事に下山したとはいえ、「(そんな状態になるまでレースを続けたことは)あってはならないこと」(飯島)であった。

 自然のなかでは、不確実なことが起きる。刻一刻と状況が変わるなか、どのタイミングでどう判断し、どう行動するのか――。まずは全選手が無事に、事故なく終わったことで選手や関係者の間では安堵が広がったが、選手、運営側にも課題が投げかけられた大会となった。

 今大会の開催について、台風の接近にあたり、大会を中止にしないのか、という問い合わせもあったという。飯島は言う。
「選手一人ひとり、スキルや経験は違う。装備も食料も異なる。またレースが始まれば、それぞれの選手がいる場所、状況も異なる。トップは暴風雨のなか、最後尾は灼熱のロードを走っているかもしれない。一律な判断などできないのです。自分が置かれたその場の状況で、自分で判断せざるをえない。ダメだと思ったら自分でレースをやめる。天候が悪ければ、スタートをしないという選択肢もある」

 今大会は、悪天候の影響もあり、体調に異変をきたす選手が過去の大会と比べて多かったという。本部でレースの経過を見守った田中正人は振り返る。
「今回は、これまで大会でも最も、選手たちの限界を試されたレースだったと思う。限界を試されたなかで、限界をいかに超えないでレースが継続できるか。それが今回問われたのではないか」。己の限界に挑む――多くの人にとってそれは未知の経験である。田中は言う。「限界を超えないギリギリのところで踏みとどまれるかどうか。それがどこなのか、経験したことがないとわからない。そこは最も難しいところですね」

 過酷なコンディションのなかで、30名の選手がそれぞれの思いを胸に挑んだTJARが幕を閉じた。レース直後から、すでに2年後の大浜海岸のゴールを見据え、始動した選手もいる。次回のTJARは、2016年夏に行なわれる予定である。

<全選手の成績>
※フィニッシュ(大浜海岸)
1位 望月将悟 5日12時間57分
2位 飴本義一 6日5時間6分
3位 船橋智 6日6時間54分
4位 阪田啓一郎 6日16時間47分
4位 石田賢生 6日16時間47分
6位 松浦和弘 6日21時間4分
7位 大西靖之 6日21時間4分
8位 朽見太朗 7日2時間36分
9位 大原倫 7日15時間18分
10位 紺野裕一 7日19時間20分
11位 西田由香里 7日22時間12分
12位 雨宮浩樹 7日23時間6分
13位 米田英昭 7日23時間14分
14位 佐幸直也 8日2時間4分
15位 柏木寛之 8日2時間32分

※途中リタイア
仙波憲人(7日20時間13分、富士見峠)
田中尚樹(7日7時間00分、井川CP)
阿部岳史(6日13時間50分、南ア・大日影山)
江口航平(5日19時間45分、南ア・三伏峠CP)
平井小夜子(6日11時間50分、南ア・三伏峠CP)
山本寛人(5日8時間10分、南ア・野呂川越)
中村雅美(4日3時間48分、中ア・池山)
湯川朋彦(2日18時間10分、沢渡)
岩崎勉(2日11時間31分、北ア・西鎌尾根)
千原昇(2日9時間38分、北ア・三俣山荘)
飯島浩 (2日9時間18分、北ア・双六小屋)
福山智之(2日4時間35分、北ア・双六小屋)
笹岡誠(1日6時間11分、北ア・室堂)
石川晃(0日18時間20分、北ア・一の越山荘)
町田吉広(0日16時間15分、北ア・一の越山荘)

取材・文=松田珠子

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TJAR実行委員会からのお知らせ
7/11~12、9/12~13 TJARトレーニングキャンプ
http://www.tjar.jp/2014/info/2015/05/13161009.html

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Vol.1 TJARとは-- www.mtsn.jp/journal/detail.php?id=4
Vol.2 創始者岩瀬幹生の挑戦(前編) www.mtsn.jp/journal/detail.php?id=41
Vol.3 創始者岩瀬幹生の挑戦(後編) www.mtsn.jp/journal/detail.php?id=98
Vol.4 2002年(第1回)~2012年(第6回)のTJARを振り返る http://www.mtsn.jp/journal/detail.php?id=135&pg=2

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