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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.18 2014年の勇者たち (13)大西靖之

2016.02.12

2014年の勇者たち(13)大西靖之 ナンバーカード22  6位(6日間21時間04分 ※3回目の出場)

 TJAR初出場の2010年から3大会連続の完走、2014年大会は6日間21時間4分の6位(松浦和弘と同着)でゴールした大西靖之。職業は自衛官。スキンヘッドと日焼けした肌、大柄ではないが、がっちりとした体格が印象に残る。

 出身は四国の高知県。海沿いの温暖な土地で生まれ育った。小学生の頃からジャッキー・チェンに憧れ、“修行”と称して腕立て伏せと腹筋に励んでいた。同時期に打ち込んでいた空手では、県大会の団体戦を制した。中学校時代は野球部に所属。野球が盛んな地域ゆえの厳しい練習にも耐え、セカンドのポジションで活躍、主将も務めた。
 中学卒業後は、親元を離れ、神奈川県横須賀市にある自衛官を養成する陸上自衛隊少年工科学校(平成22年から陸上自衛隊高等工科学校に名称変更)へ。同校の卒業生である地元の知人から勧められたことも大きかった。
 「国防のこととかあまりわかっていなくて、単純に都会に行けるかな、という理由ですね」
 寮生活を送りながら、普通科高校と同様の内容に加え、国防に関する専門教育を受けた。部活はレスリング部に所属。副主将を務め、名タックル手としてインターハイ出場も果たした。
 卒業後は、東京都北区の陸上自衛隊十条駐屯地に配属された。
 「元々整備の勉強をしていたので、その関連の計測器の校正をする部署に配属になりました。訓練の中でちょっと走るくらいで、演習場に行くような訓練はほぼなかった」
 横須賀にいた頃に趣味で始めたサーフィンを続けていたが、「まったく上手にならなかった(笑)」と大西。
 サーフィンを辞めた後は「運動不足解消目的で」週末に走り始めたが、当時は職場の同僚と組んだバンド活動に熱中、ギター練習、ライブ、自主製作CDに時間を割いていた。

 ロードのマラソンなどに出るようになったのは、20代後半で十条から茨城に転勤し、結婚してからだ。フルマラソンは20歳頃に一度だけ走ったことがあった。そのときの記録は3時間25分。そして2001年、ほぼ10年ぶりに挑んだフルマラソンは3時間56分だった。やるからには目標を立てようと、大西は多くの市民ランナーが憧れとする「フルマラソンでサブ3(3時間以内)」を目標とした。2年後のつくばマラソンで3時間5分まで記録を短縮したが、その後、3時間の壁がなかなか打ち破れずにいた。
 「“あと5分”がなかなか縮まらなくて、マラソンはもうやめようかなと……。やめる前に1回だけウルトラマラソンを走ってみようと、地元の四万十川ウルトラマラソンにエントリーしました」
 06年10月のことだ。結果、初ウルトラにかかわらず9時間7分33秒の好タイムで完走を果たした。
 「案外いい感じで最後まで走れて、『オレ、長い距離が向いているのかな』と。そこから長い距離のレースにも出るようになって。雑誌とか見ていてハセツネとかも知って、トレイルランのレースにも出るようになった感じですね」
 初ウルトラマラソンの1カ月後には、フルマラソンのサブ3(2時間57分)も達成した。

 TJARのことを知ったのは、当時山と溪谷社から発行されていた雑誌『アドベンチャースポーツマガジン』がきっかけだった。08年大会のレポートを見て、「こんなレースがあるんだ」と興味が湧いた。だが、それまで登山らしい登山をしたこともなかった。最初は他人事だったが、記事を読み込んでいくうちに、自分にも可能性はあるのではないか、と思い始めた。
 「そこに湯川さんの記事が出ていて、湯川さんの年齢とマラソン歴が自分に似ていたんです。『もしかしてオレも頑張ればできるのかな』って。そこからやってみようかなと思い始めた」
 妻の実家が富山県で、スタート地点であるミラージュランドに近いということも、TJARに惹かれた理由の一つだ。TJARへの挑戦が、大西の新たな目標になった。


初出場の2010年大会。剣山荘をバックに(写真提供=大西)

 

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