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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.20 2014年の勇者たち (15)福山智之

2016.02.29

2014年の勇者たち(15)福山智之 ナンバーカード11  DNF(2日間04時間35分 双六小屋でリタイア)※2度目の出場」

取材・文=松田珠子

 穏やかな人柄と、やわらかい口調の関西弁が印象に残る。12、14年と2大会連続でTJARに出場した福山智之。現在37歳にして、登山歴20年以上というベテラン“山ヤ”だ。奈良県で生まれ育ち、現在は生駒市役所に勤務する公務員でもある。
 「子どもの頃から、家族旅行といえば山に行くことが多かった。当時は本格的な山というわけではなく、ハイキングのような感じでしたけど、山や自然に惹かれる気持ちがありました」
 そう福山は話す。高校では山岳部に入部。六甲山や比良山に月に一度のペースで登り、夏休みには、飯豊(いいで)連峰、妙高山など、数泊の縦走を経験した。
 大学でも迷わず山岳系の部を選択。ワンダーフォーゲル部に入った。
 「山岳部もあったんですけど、大学に入ったら沢登りがしたいなと思って、両方できるのは大学ではワンダーフォーゲル部だけだったんです」



学生時代、北アルプス・双六谷を遡行中の写真(赤いヘルメットが大学2年生の福山)(写真提供=福山)

 

 大学時代も比良山系からスタートした。
「沢も縦走も、比良山が入門編と位置付けられていて、何度も通いました」
 夏以降は、縦走、沢、それぞれいろいろな場所で合宿を行なった。
 「縦走の合宿は、1年は北海道の大雪山系縦走、2年は北アルプス親不知から上高地、3年は再び北海道の大雪山系縦走、沢の合宿は北アルプスの上ノ廊下、赤木沢、双六谷、南アルプスの黄蓮谷、屋久島の黒味川、鯛川、小揚子川……」
 沢の合宿は「イワナやアマゴが旨かった」と振り返る。「遡行図がいい加減なものもあって遭難しそうになったり、滑落したりいろいろありましたが、沢登りは楽しい記憶がいっぱいです」(福山)
 4年になり、部を引退後は「自由にアルプスを放浪」した。福山にとって“山”はなくてはならないものになっていた。

 卒業後、一度は民間企業に就職。ふと海外の山に行きたい気持ちが強くなり、職場に休暇の希望を出したが、通らず「じゃあ会社を辞めて行こう」と退職届を提出。
 そして04年1月、単独で、アルゼンチンとチリの国境にある南米最高峰アコンカグア(6960m)に挑んだ。入山してから3日かけてベースキャンプ(BC)へ。
 BCでは高度障害で「頭が割れそうな」激しい頭痛に襲われたが、その後7日かけて登頂、2日で下山した。計12日間の行程だった。「山を登っての達成感というものを初めて感じることができた」とは当時の感想だ。下山後は、フイッツ・ロイ、セロトーレ峰を見るためにパタゴニアトレッキングを楽しんだ。



04年、南米最高峰のアコンカグアに登頂!(写真提供=福山)

 

 帰国後、地元の生駒市役所に就職し、公務員となった。その後、結婚。妻・真理は、同じ大学の山岳同好会に所属していた。子供が生まれる前には、夫婦でヨーロッパ・アルプスの最高峰・モンブラン登山に挑戦したこともある(悪天候により途中の小屋で撤退)。
 07年に誕生した長女の「ななほ」ちゃん(現在8歳)は、七大陸最高峰の七峰(ななほう)」から、次女の「ひら」ちゃん(現在5歳)は、学生時代から何度も通った比良山系から名付けた。

 そんな福山がTJARのことを知ったのは、アコンカグアに行く前、大学を卒業してすぐの頃だった。インターネット上で、たまたま第1回大会(02年)の岩瀬幹生の日本アルプス縦断の記録を目にしたのだ。
 「大学のワンダーフォーゲル部で1週間くらいかけていくところを、2日とか3日で行くのは信じられなくて、単純にすごいな、と。それと同時に、僕もまわりからすごいなと思われてみたいなと……」
 このレースに挑戦してみたい――すぐにそう思ったが「エントリーの仕方がよくわからへん(笑)」。当時は、参加者も少なく(第1回は5人)、主催者の岩瀬が窓口になっていた。その後、岩瀬に直接問い合わせをすればいいことを知り、08年大会に向け、応募書類を提出した。だが、書類選考で落選。
 「コースタイム24時間以上のところを55%で行かないといけなかった。実際に行ったのが20時間のコースで『ダメですね』と。要は、しっかり要項を読んでいなかったんですね。ちょっと甘く考えていて。大目に見てくれるやろうと思っていたんですけど(笑)」
 2年後の10年大会もエントリーしたが、「同じような理由で」落選。振り返って「学習してないですね」と苦笑する。

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