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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.28 2014年の勇者たち (23)飴本義一

2016.07.01

2014年の勇者たち(23)飴本義一 ナンバーカード26 6日間05時間06分、2位 ※3回目の出場

取材・文=松田珠子

​ 40歳のときに走り始めた。2009年、43歳のときには日本山岳耐久レース(ハセツネ)で8時間44分47秒(18位)、雁坂峠越え秩父応援143km走では09~11年と3連覇するなど、年齢を感じさせない強さを見せる飴本義一。TJARには08年、12年、14年の3度出場。14年大会は6日間05時間06分、自身最高位の2位でゴールした。

 出身は広島県。子どものころから体を動かすことは好きだった。中学は水泳部、高校はバドミントン部。関西の大学に入学後はサイクリング部に入り、長期休みを利用して数週間のツーリングに出かけるようになった。
 「自転車を担いで山に登るメンバーがいて、影響を受けて自分も山に登るようになりました。登山を本格的にやるのではなく、サイクリングついでにちょっと登ってみる、という感じでした」
 沖縄以外の日本全国を自転車で旅をした。関西からフェリー、または輪行で日本海側の電車に乗り、北海道にも行った。
 「あまり細かい計画は立てず、ツーリングのついでに北海道の山に登ってみようと、知床の羅臼岳とか斜里岳とか、地図を見て3つくらい決めて。現地では、朝からツーリングして、暗くなったらテントで寝る場所を探して……という生活。何週間もかけて放浪の旅みたいな感じでした。他の県でも日本百名山の山に登ったりしていました」

 20歳(1987年)の6月には、自転車を担いで富士山に登頂し、山頂でビバークしたこともある(※現在は環境省により自転車等の乗り入れは規制されている)。
 「サイクリング仲間4人で登りました。メンバーの一人が山に詳しくて、計画や装備の選択などは言われるままに。登ること自体は特に苦労はなかった」と振り返る。山頂で日の出までビバークして剣ヶ峰に向かう予定だったが、休憩しているうちにひどい頭痛に見舞われ、下山した。
 「少し高度を下げたら治ったので、高所に対応できていなかったんだと思います。朦朧としながら見下ろした山中湖がきれいだったのと、見たことがない高度感に感動しました。下りは、山頂直下以外は自転車に乗って下りました。登山道ではなくジグザグの作業道でコケまくり、パンクしまくりでした」
​ この頃の登山、ビバーク経験は、現在の飴本の土台となっている。

 

 
日本百名山でもある奈良・大台ケ原山にて(写真提供=飴本)

 

<体重が80㎏になり、走り始めた>
 社会人になってからも関西に住んでいたが、30歳の頃、上京した。
 「旅行は好きだったので、自転車がオートバイになり車になり……。自転車はだんだん乗らなくなりました」
 運動不足もあり、ちょうどその頃、昔やっていたバドミントンを始めようと思い立つ。ところが――。
 「始めたとたん、練習でアキレス腱を切ってしまった。けっこうショックで、走るのが怖くなりました。もう『一歩たりとも走らない』みたいな生活。走れば電車に間に合うところも、怖くて走らなかった」

 そんな生活を続けているうちに、気づけば体重がかなり増加していた。
 「40歳の頃、体重が80㎏くらいまでいきました」
 06年頃、飴本は一念発起して、ランニングに取り組み始めた。
 「ちょうど第1回東京マラソンの開催が決まって、それにエントリーしたい、と走り始めました。結局東京マラソンは抽選で外れたんですけど。湘南マラソン(07年3月)にエントリーして、練習しないといけない状況になって、それから(ランニングが)習慣になった感じですね」
 体重は走り始めて2カ月で10kg減少した。数カ月後の初マラソンの湘南国際マラソンは4時間11分。
 「完走できればいいと思っていたし、気持ちよく走れて大満足でした。それで調子に乗って、また何かのレースに出ようと」
 次戦は、アップダウンの厳しさで知られる八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソン(07年5月)。いきなりの100kmだ。
 「そのときはえらい目に遭いました(苦笑)。キロ6分だったら10時間で走れるなと思っていたけど、全然甘くなかった。制限時間の10分くらい前にぎりぎりゴールしました」
 苦しかったが、同時に「旅」のような長い距離のレースの楽しさも感じた。その後、同年10月の日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)にエントリーした。
 「『耐久』とか『24時間』とかのキーワードで検索して見つけて、トレイルランって何だ? という感じでしたけど、自分に合っているんじゃないかなと。初ハセツネは、舞い上がって、周りにつられて最初から突っ込んで、第一関門手前で早々に走れなくなって、座り込んで休みました」
​ それでも11時間50分で完走を果たした。

 もともと長距離や、長時間動き続けることは苦ではなかった。
 「自転車部時代も、『びわ湖一周サイクルマラソンとか耐久系のイベントは得意でした。フルマラソンをきっかけにウルトラ、ハセツネと知って、いろいろなレースがあるんだなと」
 そのうちにTJARの存在を知った。
 「いちばん長いレースは何だろう、と探していて、TJARを知りました。これも自分に合っているだろうと。いつか出てみたいな、と思ったけど、08年大会に出たいとまでは思わなかった」
 興味を持ったものの、当時は情報も少なくエントリーの方法もわからなかった。
​ 08年4月、飴本はTTR(東京トレイルラン)のコースを走る仲間内のイベントに参加。現在実行委員メンバーでもある湯川朋彦も来ており、そこで初めて「TJARの詳しい情報を聞き出すことができた」(飴本)。湯川から教えてもらった参加条件の中に「100kmのウルトラマラソンで10時間以内」という規定もあった。当時、飴本のウルトラマラソンの経験は、「制限時間(14時間)ぎりぎり」で完走した前年の野辺山のみ。ちょうど1カ月後に控えた08年の野辺山にもエントリーしていた。
 「今年の野辺山で選考基準の記録を出せたらエントリーしてみようかなと」
​ 翌月、「10時間以内」を目標に挑んだ野辺山ウルトラマラソンで、飴本は前年の記録を4時間以上更新する9時間半でゴール。TJARの参加条件もクリアし、08年大会へのエントリーを決めた。

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