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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.26 2014年の勇者たち (21)江口航平

2016.06.29

2014年の勇者たち(21)江口航平 ナンバーカード2 DNF(5日間19時間45分 三伏峠でリタイア)※初出場

取材・文=松田珠子

 名前に「航」の字がある。両親は海が好きだったのか質問してみると「よく聞かれるんですけど、海は関係ないんです」という答えが返ってきた。
 14年大会に初出場した江口航平。京都市消防局の救急隊員として日々、救急業務に従事している。「航平」という名前は、両親から「人生を一つの航海として捉えて、平(穏)に過ごしてほしい」という意味を込めてつけられたそうだ。
 学生時代から山を始め、縦走のみならず、フリークライミング、アルパインクライミングなど幅広く取り組んできた。いずれも常に危険を伴う。「実際は、いつも難破船のような人生」とは本人談だ。
 

<大学でワンダーフォーゲルーゲル部へ>
 京都で生まれ育ち、高校までは剣道に打ち込んだ。大学でワンダーフォーゲル部へ。きっかけは、高校の卒業旅行で目にした山の景色だった。
 「高校の卒業旅行で、スキーをしに長野県白馬の八方尾根に行ったんです。そのときに雪山の後立山(連峰)の稜線が見えて、あの山の向こうはどうなっているんやろう……と。行ってみたいな、おもしろそうだなと思ったのがきっかけです」



大学3回生の夏合宿、南アルプス・甲斐駒ヶ岳にて。中央が江口(写真提供=江口)


 
 ワンダーフォーゲル部では縦走が中心。夏合宿ではテントを背負って2週間くらいかけて歩いた。
 「北アルプス、南アルプス、屋久島、北海道……。有名な所はけっこう行きました」
 春になり新入部員が入ると、そのレベルに合わせて初級レベルの縦走に戻るのが「物足りなくて」、社会人の登山愛好者グループと一緒に岩登りにも取り組むようになった。
 大学4回生の卒業旅行では、ネパールのアイランド・ピーク(6189m)に学生だけで登頂を果たした。

 
 

卒業記念に登ったネパールのアイランド・ピークにて (写真提供=江口)



 卒業後は民間企業に就職。その年の冬(05年1月)、大学時代からの山仲間が北アルプスで雪崩に巻き込まれ亡くなるという事故が起きた。仲間が雪崩で行方不明になったとの一報を受け、江口も捜索活動にも加わったが、助けられなかったという悔しさ、無力さを痛感した。「人を助けられる仕事に就きたい」と勤め先を辞め、翌年、消防士試験を受験し合格。京都市消防局に入り、救急隊員として配属された。
 TJARの存在を知ったのは学生時代だ。雑誌『山と溪谷』で第2回大会(04年)の記事を見たのが最初だった。そのときの印象は――。
 「衝撃でした。こんなレースがあんのや!と。自分が学生のときに10日間くらいかけて行っていたところを、1~2日で進むなんて、どうかしてる、と思いました」
 05年、24歳で消防士の試験を受けた後、時間的な余裕があったとき、ふと思い立ち、記憶に残っていたTJARの一部に挑戦してみることにした。
 24歳で消防士の試験を受けた後、時間的な余裕があり、ふと思い立ち、記憶に残っていたTJARの一部に挑戦してみることにした。
 大浜海岸からスタート、国道362号線経由川根本町へ。「2日目にして心が折れ」(江口)、千頭駅から寸又峡までの15kmをバス利用したが、寸又峡から光岳登山口まで延々と続く林道アプローチをこなし、光岳から南アルプスを縦走。右膝を痛め、北沢峠で下山して終了した。 
 当時の江口には、山では20kg以上の重い荷物を持つことは当たり前だった。
 「できる限りの軽量化はしたんですけど、基本的に自炊で行ったので12~3kgはあったと思います」
 南アルプスを縦断しての感想は、「膝が痛くなってツラかった。これで3分の1か、と。やっぱり大変なレースやなと……」。
ただ、このときはTJARに出場したいという気持ちがあったわけではなかった。
 「自分はどのくらいできるのかな、と試してみたかった。このときは、自分がTJARに出たいとまでは思っていなかったです。当時は、(TJARのような)縦走よりも、アルパインクライミングのほうに興味があったので……」


<TJARへの道、トレイルランに参戦>
 
実際にTJARへの挑戦を意識したのは、12年秋、NHKスペシャルで放映されたレースの映像を見てからだ。
 「途中、すごく苦しそうな顔をしていても、ゴールの選手のみなさんの顔を見ていたら、かっこいいなと思った。『これ、やってみたい!』と思いました」
 
結婚し、長女が生まれた頃だった。山に行ける頻度が減り、家の周りでできるランニングを始めたタイミングでもあった。
 「山は今まで歩いたことがあるところばかりなので、イメージができた。まずは参加要件を満たすために、走ることに力を入れて取り組みました」
 
消防士をめざしていた24歳の頃、体力作りの一環として走っていた。その頃にフルマラソンを2回完走している。「初マラソンは4時間かかって、2回目は3時間45分くらい」というのが当時の記録だ。その後も「ちょこちょこっとは走っていた」が、レースに出ることはなかった。
 TJARをめざすにあたり、冬にはロードを走り込み、13年に入ってからはトレイルレースにも挑戦した。初レースは3月のOSJ新城トレイル。その年、おんたけウルトラトレイル、おんたけスカイ、氷ノ山山系トレイルランなど、さまざまタイプのトレイルレースに出場した。
 「大学時代は『山は走っちゃいけない』という教えだったし、荷物が重くて、登山道を走るなんて考えもしなかった。トレランのレースに出るようになって、スピード感がすごいなと。自分の力がつけばつくほど遠くまで行ける。前に走ったコースをもう一度走ってタイムが伸びたら、自分の成長が感じられるのもよかったですね」

 

<TJARのスタイルで「山の世界が広がった」>
 TJARのスタイルは、江口にとって新たな山の世界を知るきっかけとなった。
 「学生の夏合宿で2週間くらいかけて縦走していたときは、『こんな大縦走、もう仕事を辞めるまでできひんやろうな』と思っていたけど、スタイルが変わるだけで、距離が延びるし、すごく世界が広がったなと感じましたね」
 冬には、参加要件のフルマラソンのタイム(3時間20分)をクリアし、TJARの参加要件が揃った。
 「とりあえず、書類が出せる、申し込みができるなと。仕事の関係でマラソンは2本くらいしか走れなかった。3時間19分くらいでギリギリでした」
 書類は提出したものの、江口はTJARをめざす自分に自信が持てないでいた。
 「24歳のときに南アルプス縦断をやったときに、『これはきついな』というのが正直なところだった。大会とかで上位を狙える人間でもないのに、TJARをめざすというのは自分にとって大きすぎるチャレンジで、周りに言い出せなかった。自分がいったいどのレベルにいるのかも把握できず、たいがい一人でコソコソと練習してました」
 選考会・抽選会をクリアし、出場が決まり、周囲の仲間に打ち明けると驚かれたという。
 14年大会の1カ月前には次女が誕生した。2人の幼い娘がいながら、山やトレーニングを優先させるわけにはいかない。
 「だいぶ嫁の顔色を窺いながら(笑)。応援はしてくれていて、山に行くことは反対されないんですけど、『あんただけ一人で楽しそうやな』とチクリと言われる。嫁に迷惑をかけないように、家のことをちゃんとすませてから……」
 仕事があるときは、主に職場の周囲や近くの低山を走ることがトレーニングの中心だ。仕事柄、地理を頭に入れる意味合いもある。限られた時間で工夫しながらトレーニングを積んだが、アルプスには参加要件を満たすために行くのが精一杯だった。
 「(本戦のコースで)下見ができたのは一部だけで、ほとんどできなかった。本来なら同じコースをトレースしたかった」
 江口はそう振り返る。自身が置かれた状況では精一杯努力したものの、十分とはいえない準備に、不安を抱えながら本戦を迎えることになった。



14年大会、ミラージュランドでの開会式にて。ビブスナンバー2が江口(写真=宮崎英樹/MtSN)

 
<TJAR戦士のタフさに驚いた>
 14年大会は、盛大な開会式、実行委員代表・飯島からの檄に、気持ちの高ぶりを感じながらスタートした。
 レース前、アルプスにはあまり通えなかったとはいえ、コースの多くは、学生時代を含め一度は通ったことがある。特に北アルプスには、社会人になってからも何度か足を運んでいた。江口は自分のペースで歩みを進めた。応援の声には、ひと際元気な声で応じた。
 一ノ越からの稜線は激しい風雨だった。江口にとっては「これまで経験したことのあるレベルの風」だったが、それでも横から体に激しく叩きつける雨には辟易した。
 五色ヶ原からは千原昇、平井小夜子と進んだ。一時は虹が出たが、それは「疑似好天」だった。本当の荒天はここからだった。越中沢岳で、千原が5mほど滑落。「途中で引っかからなければ致命傷になる可能性のある場所」(江口)だったが、幸い途中の岩場に着地し事なきを得た。
 風雨も強く「単独で抜け出すのは危ない」と感じた。江口、千原、平井の順で前進した。天候は悪化する一方だった。
 「レースとはいえ、あの状況下で別々に行動するのは考えられなかった。とりあえず無事にスゴ乗越までは、と思っていました」
 そう江口は振り返る。
 スゴ乗越小屋での停滞を経て、翌朝4時以降に再スタートすることになった。朝になっても雨足は弱まらなかった。
  「精神的に参っていて、なかなかスタートできずにいた」と江口。そんななか、周囲の選手は意気揚々と準備をし、出発していく。前日に滑落した千原も、笑顔でスタートしていった。
 「みんな、なんてタフなんだ!と驚きました。弱音なんか吐いている暇はないと思い、慌てて後を追いました」
 千原にはすぐ追いつき、少し言葉をかわしてここから先行。この後は、平井と前後しながら進んだ。
 「(08、10、12年出場の平井から)TJARの歴史とか、いろいろ話を聞かせてもらいました。どういう作戦でいくのか、足のケアのこととかも教えてもらいながら。平井さんにはそのあとも、かなりお世話になりました」
 TJAR初挑戦の江口にとって、経験豊富な平井の存在は大きかった。
 



風雨が徐々に強くなるなか、立山室堂をめざす(写真=杉村 航/MtSN)

 

<心に決めていたリタイアの基準>
 平井のアドバイスを受け、江口は「足のケア」に重点を置きながら歩みを進めた。長いロードを経て、4日目の13日に中央アルプスへ。この日、木曽駒ヶ岳では快晴となり「やっと夏山気分を味わえた」(江口)。だが、晴れ間は長くは続かず、その後も雨が降り続いた。
 印象に残るシーンがある。4日目から5日目(14日)へと日付が変わる頃、眠気に見舞われるなか、空木岳をめざしていたときだ。
 「深夜0時頃だったと思うんですけど、稜線の先にヘッドライトが何個も見えて、ライトを点滅させて合図を送ったら、向こうも気づいて点滅で返答があった。TJAR選手だ! と。こんな夜中にみんな動いてんねんな、みんな頑張ってるし負けてられへんな、と元気が出ましたね」
 それでも、またしばらくすると睡魔に襲われた。意識朦朧になりながら、平井を追った。
 「空木岳に向かう登りで、自分はだいぶへばっていたんですけど、平井さんが前を歩いてくれはって。平井さんのヘッドライトを必死で追いかけました。空木岳に着いて、『これから下りられるね』と声をかけてもらって。かなり助けてもらいましたね」

 


レース4日目、中央アルプス・木曽駒ヶ岳にて。だが好天は長く続かなかった(写真=藤巻 翔)

 

 市野瀬の関門では、足裏のケア、水風呂でアイシングなど行ない、食事をとって仮眠。平井とともに20時に再出発した。体調は良好だったものの、近くで夏祭りが開催されていて騒がしく、2時間ほどしか睡眠がとれなかったのが気がかりだった。
 地蔵尾根に入ってからも「金魚のフンのように」平井についていった。しばらくは足取りも軽く、このあたりでは「大浜海岸のゴールシーンを思い描いていた」(江口)。6日目、15日へと日付が変わり、松峰小屋を過ぎたあたりで、睡魔に襲われフラフラに。そんな江口を見かねたのか、平井が仮眠を提案し、1時間ほど休憩。「平井さんに置いていかれず一安心」と江口は振り返る。
 だがその後も足が重く、スピードが上がらない。だが平井はもっと疲れているように見えた。仙丈ヶ岳に向かう登りでは一般登山客と変わらないペースだったことに、江口は危機感を覚えた。
 「平井さん、かなり疲れてはるなと。平井さんに先行せえへんかったら、次の関門に間に合わへんなと……」
 仙丈ヶ岳から、江口は平井と別れて先行することに決めた。
 「さんざんお世話になっておきながら、しかも平井さんもまだリタイアしていないにもかかわらず、『お世話になりました』と言って。平井さんも『頑張ってね』と送り出してくれました」
 あとで「みんな(他選手)から『平井さんをゴールさせないとダメだ!』と怒られた」という後日談がある。
 平井と別れた江口は、仙丈ヶ岳を6時半頃に通過した。「地蔵尾根に10時間半もかかっていることにショック」を受けつつ、先をめざそうとするが、熊ノ平小屋を過ぎてから、自身に異変が起きた。
 夢の中に迷い込んだような状態になり、ここからの記憶は途切れ途切れだという。なぜか、目の前で大学山岳部の抗争が起きていたり、自分が野球の試合の監督をすることになったりと、「意味不明の状態に陥った」。
 「怖くなって叫んでみたり、これは悪い夢の中だから、飛び降りたらどうや、と。でも寝転んだら痛い。自分がどこで何をしているかわからなくなって……、覚めない夢の中にいる、みたいな状態でした」
 頭が混乱するなか、「いつの間にか登山道を逆走していた」。途中で後ろから来ていた阿部岳史に会ったことで、意識がはっきりと戻った。振り返って、江口は言う。
 「今まで幻聴、幻覚も経験したことがなかった。思考回路が壊れてしまった自分に恐怖感を覚えました。(原因は)寝不足なのかなと……」
 塩見岳東峰から西峰は、阿部の後ろを歩かせてもらった。
 塩見岳を通過し、三伏峠には19時45分に到着。明らかに自分より足の状態が悪い阿部は、出発の準備を進めていた。江口は、レースを継続するべきか迷っていた。
 「そこから先の区間は、24歳のときに行ったときの記憶しかなくて、エスケープする場合の道が曖昧だったり、距離感が掴めなかった。普通なら、縦走路だからそう迷うこともないと思うけど、一度(自分が)おかしくなったこともあり、このまま行ったらまずいんじゃないかと……」
 進むべきなのか、やめるべきなのか――。またおかしくなったらどうするのか。また、この先でリタイアする場合、自力で安全に下山することができるのか?――自問自答するも、答えは出せなかった。
 「進んで完走できたら結果オーライ。でもケガしたり、進めなくなる可能性もある。台風の中をスタートさせてもらったのは、主催者が選手のことを信頼してくれたからだと思う。僕の判断で進んで、もし何か(事故など)起きたら、大会の存続にも影響するんじゃないかと……。僕も山登りから始めたからわかるけど、山をやっている人の中には、トレランに批判的な人も多い。本来なら(山で)夜中に行動するのも好ましくない。『ほら見たことか』と批判されるのは目に見えている……」
 TJARに挑むにあたり、江口が決めていたリタイアの判断基準がある。それは「判断に迷い、『TJARだから続行しよう』と思ったとき」はリタイアだと――。
 「せっかくの大会だから進もう、と思ったら事故や遭難につながる可能性がある。これは無理できないなと思いました。せっかく出場できたレースなので完走はしたいけど、安全に行けるのかと言われたら、自信がなかった」
6日目(15日)20時、江口は三伏峠でリタイアを決めた。

 

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