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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.31 2014年の勇者たち (26)大原倫

2016.07.25

2014年の勇者たち(26)大原倫 ナンバーカード8 7日間15時間18分、9位 ※初出場

取材・文=松田珠子

 「あのときの状況は、僕がいちばん語らなければならない立場にあると思う」
 TJAR14年大会に初挑戦し、完走した大原倫は言う。
 14年大会を語る上で、台風直撃となった初日、特に薬師岳直下の暴風雨は外せない。薬師岳山荘まで進んだ先頭の10選手は、山荘で一時待機の措置が取られた。その10人目の選手が、大原だった。山荘に着いたのは21時――。雨、霧、闇、そして風速40m以上の風が吹き荒れる標高3000mの稜線を、単独で進んだ。
 「あの体験は特別でした。もう二度とあの体験をすることはないと思うし、してはならないと思っています」

 

 
14年大会、ゴールの大浜海岸にて。長い旅を終え、フィニッシュゲートでは男泣き(写真=宮崎英樹/MtSN)

 

<“メタボ体型”から3カ月で22㎏減量>

 京都市生まれだが、父が転勤族だったことから、小学生の頃までは名古屋、横浜、大阪等、日本各地を転々としてきた。「生活環境の変化には慣れっこ」とは本人談だ。
​ 大阪に住んでいた中学、高校では野球一筋。高校2年からはピッチャーとして活躍した。大学・大学院時代はスポーツから離れ、勉学に打ち込んだ。「政治や経済、貧困問題とか国際問題に興味があった」。アメリカとイギリスに3年間の留学も経験した。
​ 25歳で就職。社会人になって数年が経った頃、気づけば体重がかなり増加、「メタボ(体型)」になっていた。
 「学生時代の友人の結婚式に行く機会が増えて、そのたびに『誰?』とか『ありえない!』とか散々たる言葉をかけられて……。それがつらくて、ダイエットを始めたんです」
​ 08年、28歳の頃だ。「まず手始めに当時ブームだったビリーズブートキャンプを始めたものの、初日でいきなり腰を痛めて脱落してしまいました(笑)」。リハビリのために腰に負担のかからない水泳を始め、腰が回復してからはランニングも開始した。
 「子どもの頃から、一度心に決めてやり出すと、とにかく何でも極端な性格なんです」と大原。我流ではあったが、ひたすら体を動かしたことで、わずか3カ月で22kgもの減量に成功した。
 ちょうどその頃、とある機会に学生時代の先輩から富士登山に誘われた。それまで山にはまったく興味がなかった。
 「登山なんて自分がやるものだと思っていなかった。変わった趣味の人もいるんだな、と思っていたくらい」
 「まあ、日本人だし、富士山には一度くらいは登っておいてもいいかな」という軽い気持ちだったが「ダイエット効果もあってサクサク登れて、きれいな景色や山の開放感が気持ちよく、想像していたよりずっと楽しかった」

 富士山に誘ってくれた先輩がトレイルランをやっていたことから、次は高尾山でトレイルランデビューも果たした。
 「こんなに楽しいスポーツがあるのか……」。大原はトレイルランに一気に引き込まれた。
​ 以来、毎週のように高尾山のほか、鎌倉、丹沢、箱根など関東の低山を中心に足を運び、さまざまなレースにも出場するようになった。
 「もっといろいろな山に行ってみたい」と、09年の夏、初めてのアルプスへ。
 「いわゆるベタなパターンですが(笑)、上高地から穂高、槍ヶ岳に、一人で行きました。とにかく山のスケールが大きく、景色が素晴らしくて、高い山はいいなと。今思えば、そのときは小屋泊で荷物もハイキング程度で、地図や天候の読み方など、登山の基本や高山で大切なことを全然わかっていなかったですけど」

<憧れから目標の舞台へ>

 TJARの存在は、トレイルランを始めて間もない頃、山と溪谷社が当時発行していた『アドベンチャースポーツマガジン』の08年大会の記事を見て知った。「こんなにすごいのもあるんだ……」というのが当時の印象だ。

 TJARへの興味を強くするきっかけとなったのは、望月将悟との出会いだった。10年6月、大原は、望月らトップトレイルランナーが契約する「チームスポルティバ」が主催するセミナーに参加。「将悟さんをはじめ、スポルティバの選手たちが、とにかく強くてかっこいいなと憧れて」、同年、トレイルラン仲間とアマチュアトレイルランニングチーム「すぽるちば」を立ち上げた。「悪乗りでほとんど無理やりの押しつけ気味でしたが(笑)」、チームの監督を望月が引き受けたことで、その後交流が深まった。

 


2010年OSJ湘南クラブハウスにて。「トレランセミナー(望月将悟スペシャル)」に「すぽるちば」チームの仲間と参加したときの写真。
左端が大原、中央白シャツが望月。望月の右隣は09年ハセツネ覇者の後藤豊。
現在トレイルランジャーナリストとして活躍する岩佐氏の姿も(写真提供=大原)

 

 10年8月、望月はTJARに初出場し、大会新記録で優勝した。「すごいな、僕もいつか出てみたいなと。でも、まだ脚力も知識も経験もはるかに及ばなかったし、そもそも出場するために必要な実力をつけるためには何をすればよいのか、まったくイメージすら湧かなかった。自分が挑戦することを現実的な目標として考えるレベルには到底なかった」
 その年の報告会にも参加し、そこで耳にした選手の言葉はどれも強烈に印象的だったが、当時は目標というより、漠然とした憧れの気持ちの方が強かった。TJARを心の片隅に置きながら、その後もトレイルラン、アルプス登山の経験を重ねていった。

 TJARへの挑戦を決意したのは12年。望月を追いかけ、同年夏のトルデジアンを完走し、それまで少しずつ高まってきた想いを秘めつつ、大会後の報告会に参加したときだ。
 「あらためて、完走した人もリタイアした人も、それに懸ける想いがもの凄いなと。あとは、レースでありながら『皆で何か大切なものを共有している』という熱さ、人間としてのロマン、生き様……。そういったものが自分の琴線にビリビリ触れて、まるで必然のように心を鷲掴みにされ、引き込まれました。そして、自分にとって大きかったのは将悟さんの存在です。今でも、そしてこれからもずっと遥か雲の上の存在ですけど、叶うものなら憧れの舞台に一緒に立ってみたい。僕のTJARに対する憧れは、将悟さんに対する憧れとイコールと言っても過言ではないです」
​ 大原にとって、いつか出てみたい、と憧れの存在だったTJARが「絶対に出る」と明確な目標に変わった。「でも、軽々しい目標宣言は、選手や関係者の方々に対して失礼にあたると思っていたので、2014年の予選を通過するまでは、ずっと心の中に秘め続けていました……」

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