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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.33 2014年の勇者たち (28)飯島浩

2016.07.27

2014年の勇者たち(28)飯島浩 ナンバーカード23 DNF(2日間09時間18分 双六小屋)※6度目の出場

取材・文=松田珠子

 

 2014年10月19日、国立オリンピック記念青少年総合センターで行なわれたTJAR報告会――。
​ 最後に壇上に立った実行委員会代表の飯島浩は、NHKの取材が入った12年大会から14年大会開催までの経緯、14年大会が大きな事故なく終了したことへの安堵の思い、関係各所への感謝を述べた。2年間の苦労を思い起こしてか、途中、言葉を詰まらせる場面もあった。
​ 5名の出場でスタートした02年から7回開催されているTJARにおいて、計6回の出場は過去最多。完走回数4回(04、08、10、12年)も、間瀬ちがやに並ぶ最多タイ。08年から実行委員会に名を連ね、10年からはその代表を務める。選手たちからは「委員長」と慕われる。本人は「実行委員会の代表者というだけで、委員長ではない」と補足するが、TJARの「長」であることは多くの人が認めるところだろう。



14年大会、ミラージュランドでの開会式にて、実行委員代表として挨拶する飯島(写真=杉村 航/MtSN)

 
<自転車と山からトレイルランニングへ>

 ほぼTJARのコース上ともいえる、中央アルプスと南アルプス、2つのアルプスの懐、長野県伊那市の出身、在住だ。子どもの頃からアルプスの山々に囲まれて育った。初のアルプス登山は中学2年の学校登山で登った西駒ヶ岳(木曽駒ヶ岳)だった。「天気が良くて小屋泊まりも楽しかった」というのが当時の印象だ。
​ 趣味として山を登るようになったのは、高校時代から。だが山よりも、自転車に熱中していた。
 「小学生のころだったか、世界中を旅する冒険家の講演を聴いたことがあって、自分の力でそういうことができるのはすごいなと憧れた。自分もいつか、自分だけの力でどこか遠くに行きたいな、と……」
​ それを実現できたのが、高校生になって、自転車(ロードバイク、ランドナー)を手に入れてからだ。行動範囲が格段に広がり、ツーリングに出かけたり、ロードバイクのレースに出るようにもなった。高3のときには北海道一周(2000km)のツーリングに行ったこともある。
​ 一人で行った初めてのアルプスは仙丈ヶ岳。
 「北沢峠からですし難しい所もなくあっさりと登れました。自分の住んでいる街を見下ろすことができて爽快でした。当時、山登りは趣味としては地味だった。山に行くのは、いつも一人でした」

 自転車と山は、社会人になってからも変わらず、趣味として取り組んでいた。自転車では、91年に八重山諸島巡り、92年には70日間をかけ、ニュージーランド縦断2000kmを踏破した。
 「途中でルートバーントラック、ミルフォードトラック、アベルタスマントラックなどをトレッキングして、トータルで数百kmは歩きました」



92年、70日かけニュージ―ランドを縦断。ニュージーランド最北端のケープ・レインガにて(写真提供=飯島)
 

 95年、飯島が25、6歳の頃、当時は走ることはしていなかったが、国体の山岳競技に出場することになった。その頃、「シクロクロスミーティング」「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」など自転車レースで入賞することもあった飯島に、友人を介して、長野県山岳協会から「国体に出場する選手を探している」と声が掛かったのだ。
 「基礎体力には自信があったし、山を走るのは、もともとそんなに抵抗がなかった。やります、と二つ返事でした」
 出場を快諾し、国体に向けて山を走るトレーニングを始めた。本番の国体では思うような結果は出なかったが、北信越大会では優勝を果たした。
 「それまで走るのは好きじゃなかったけど、国体のために山を走ってみたら楽しかった。自転車をやめて山を走るほうに熱中していきました」

 国体に出場した年、日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)の第2回大会が開催され、興味を持っていた。翌年(96年)、第3回のハセツネに出場。それが、飯島にとって初のトレイルレースだ。当時はまだ「トレイルラン」という言葉もなかった。
 「初めて出たときは、わけもわからず最初から飛ばしてしまって、前半で潰れてしまった。第一関門手前で『もうリタイアだ』と腰を下ろして大休止したら一気に回復して、200位くらいだったのが最終的に50位でゴール。記録は11~12時間くらい。苦い思い出でもあったけど、すごくおもしろみも感じた。そこから続けて出ましたね」
​ 98年には年代別入賞し、「この競技は自分に向いているかもしれない」と、さらにのめり込んだ。
​ 以来、年代別入賞は通算3回、04年チーム準優勝。07年には10回完走者の称号「アドベンチャーグリーン」を獲得した。

<TJARへの道>

 TJARを最初に知ったのは、02年夏。たまたま、インターネット上の掲示板への書き込みを見つけて、「いったい、このレースは何だろう!?」と気になったのが最初だった。
 「ちょうど第1回のレース中、インターネットの掲示板で選手の一人が『今、太平洋をめざしています』と書き込んだのを見て、衝撃を受けた」

 その後、『山と溪谷』10月号に掲載された第1回大会の記事を読んだ。
 「ずっと気になっていたところに、記事を読んですっかり虜になりました。その直後、ハセツネに出たときに、ゴール後のお風呂でたまたま横に座ったのが岩瀬(幹生)さんだった。TJARのことを根掘り葉掘り質問しました。そのときにロードが半分を占めると聞いてけっこうネックだなと……。でもおもしろそうだな、やってみたいな、と……」

 今、あらためて思うことがある。
 「今でこそ、TJAR経験者も多くて情報がたくさんある。装備もいろいろいいものが出てきて、軽くて高機能な物が手に入る。答えというか攻略法みたいなものもあります。今はSNSもあるから、個人の挑戦もたくさんの人が応援してくれる。でも岩瀬さんが最初にやったときは、装備選択も全くの手探りだし、そんなチャレンジをしていることは奥さんしか知らなかった。誰かが後追いで真似をするのとは、全然違う。何もベースがないところから1人で築き上げた岩瀬さんはすごいな、とあらためて思います」

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