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「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」Ver.6 内山雄介(※初出場)

2017.04.05

「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」 Ver.6 内山雄介 ナンバーカード24 7日間23時間44分 25

松田珠子=取材・文

 

 大会最終日、太平洋・大浜海岸。23時半過ぎ、恵川裕行と栗原葉子が揃ってゴール。残る選手は一人、関門時刻は24時――。
 恵川、栗原がインタビューを受けている途中、「内山選手が来た!」の声が飛ぶ。最終ランナー、内山雄介が姿を見せた。
「ウッチ―!」
 待ちわびていた仲間が声を掛ける。拍手と歓声に包まれ、笑顔でゴール。記録は7日間23時間44分。
 内山のゴールで2016年大会が幕を閉じた。


最終完走者となった内山(左)。一足先にゴールしていた栗原(右)と握手をかわす(写真=宮崎英樹/MtSN)

 

<ウルトラマラソン、トレイルランからTJARへ>

 現在、45歳。ウルトラランナーとして数々のレースへの出場実績がある内山だが、本格的に走り始めたのは2010年の秋、39歳のときだった。

 学生時代はバレーボール部に所属。スポーツマン体型だったが、社会人になって運動の機会が減り、飲み会など飲酒の機会が増えるのと比例して体重が右肩上がりに増加。気づけば、80㎏を越えていた。30代半ばの頃にフルマラソンを2回完走したこともあるが、継続せず。「一時的に走って少し体重が減っても、やめるとまた太る、の繰り返しだった」と内山は言う。

 40歳を目前に控え、「知り合いが急に痩せて、悔しくて(笑)」、一念発起。ランニングと食事制限を行ない、半年で24㎏体重が落ちた。体が軽くなると、走ることも楽しくなった。
「荒川が近いので練習でもよく走っていて『ここから上流を辿ったら、どこまで行くんだろう』と思っていたんです。そうしたら雁坂峠越え秩父往還走(140㎞)のレースを知って、出てみたいなと。それがウルトラのきっかけです」
 2011年9月の雁坂峠越え秩父往還走への出場をめざし、参加資格を得るため、同年6月には初の100㎞に挑戦。
「ヘロヘロになりながら、完走できた」

 その後、ウルトラマラソンを主戦場に、トレイルレースにも出るようになった。

 TJARの存在は、12年大会のテレビ放映を「たまたま見て」知った。印象に残るのは、現在実行委員会代表を務める飯島浩が、最後のロードでしゃがみこみ道端の草をむしり……300m進むのに1時間かかった、という場面だ。多くの視聴者にはレースの過酷さが印象づけられたであろうシーンだが、内山は「ああ、わかる」と思ったという。
 雁坂峠や小江戸大江戸フットレース(200㎞)といった長距離レースの完走経験から、睡眠不足と極限の疲労により客観的に意味不明な言動に陥ることは、実感をもって理解できた。
 テレビ放映での飯島の言動に共感し、レースに興味は持ったものの、すぐにめざそうと思ったわけではなかった。

 雁坂峠越え秩父往還走(140㎞)は11年から4年連続で完走、小江戸大江戸フットレース(200㎞)は12年から4年連続で完走、さらには川の道フットレース(520㎞)を13年から3年連続で完走、トレイルランでも日本山岳耐久レース、UTMFを完走するなど、実績を重ねていった。
「川の道に何度か出て、トレイルランも長いレースに出るようになって、この2つをミックスしたらTJARにつながるのかな、と……」
 漠然と、TJARを意識するようになっていた。

 14年から奥秩父や尾瀬など山にも行くようになった。初めてのアルプス縦走は同年夏。2泊3日で南アルプスへ。奈良田~大門沢小屋、大門沢小屋~農鳥岳~間ノ岳~北岳~広河原、広河原~地蔵岳~観音岳~薬師岳~夜叉神峠を縦走した。

「ストックシェルターに泊まるのも初めてでした。ずっと天気が悪かったんです。風も強くて視界も悪くて、北岳でも何も見えなくて……。でもこういうスピードでやれば、いろいろなところに行けるのかなと」

 もともとランニング仲間だった渡部祥(16年TJARで3位)から受けた影響も小さくなかった。渡部は14年大会の選考会を通過したが、抽選で涙を呑んでいる。14年秋には、渡部と奥秩父を縦走した。
「そのときにTJARの話とか、装備のこととかいろいろ聞いて、興味がわきました」
 その後、内山はTJARに挑戦することを決めた。

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