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連載「TJAR2014 - 30人の勇者たち」 Vol.3「創始者、岩瀬幹生の挑戦(後編)」

2014.10.10

 今から19年前の1995年、登山家・岩瀬幹生は、日本海から日本アルプスを越え太平洋まで、10日間で駆け抜けた。現在のトランスジャパンアルプスレース(TJAR)の礎となった挑戦である。

 このとき岩瀬が携行した荷物(装備、食料)についても触れておきたい。長期の山行中に重要となるポイントとして、睡眠と食事がある。岩瀬はこの2点を重視しつつ、荷を1gでも軽く、とコンパクト化に努めた。
装備の主だったものは、靴ひもを通し吊り下げ式としたツエルト(508g)、上半身用にカットしたマット(53g)、肩までしか羽毛の入っていない寝袋(498g)、蓋をアルミホイルで代用したコッヘル(65g)、ガスコンロ(150g)など。食料は、腹持ちがよく軽量な乾燥米を主体に、運動によって失われた水分を補給するため、粉末スープ・ドリンクを多めに用意し、3泊4日(北ア用)分で1.2kgとなった。加えて雨カッパ、懐中電灯、カメラなどを含め、総重量は8kgほどだった。
 当時を振り返り、岩瀬は語る。
「あの頃は今のようにすぐれた装備やウェア、食べ物はなかった。途中のコンビニもない時代。携帯電話もないから、家族ともなかなか連絡がとれない。家族にサポートで来てもらった旧木曽駒高原スキー場では、2日間も待たせてしまった。家族からは『ひとけのない場所で、クマが出るかと思った。怖かった』と今でも言われます(笑)」
 10日目、大浜海岸にたどり着いた岩瀬は、「山登りを始めた頃から想い描いてきた夢がやっと叶った」と感無量だった。「(最後の)畑薙第一ダムからのロードは、もうボロボロで歩くのも精一杯の状態だったが、何とかゴールすることができた。これから先、どんなに苦しいことがあっても乗り越えられるかなと、大きな自信になりました」

 当時、岩瀬が歩んだコースは、現在のコースと前半で大きく異なる。富山県の泊(日本海)をスタートし、小川元湯温泉を経由して朝日岳~白馬(しろうま)岳~唐松岳~五竜(ごりゅう)岳~鹿島槍ヶ岳~針ノ木岳~烏帽子岳~野口五郎岳~鷲羽(わしば)岳から三俣蓮華(みつまたれんげ)岳(注:ここで現在のTJARコースに合流)、さらに槍ヶ岳からは南岳~北穂高岳~奥穂高岳~西穂高岳と縦走して上高地に至るコースだ。現在のコースより距離は50kmほど長く、岩場・鎖場が数多くある難度の高いコースだ。

 岩瀬には、「日本海~日本アルプス縦断~太平洋を短時間で駆け抜ける」という夢を達成したその先に、さらに短い時間で踏破すべく、仲間どうしでのトライアルで再び日本海から太平洋の縦走に挑みたいという構想があった。
「次は、同じような夢を持っている人たちと一緒にチャレンジしたい。日本海から日本アルプスを越えて太平洋までの縦走を、多くの人に叶えさせてあげたい」
 単独での日本アルプス大縦断は、そのための「試走」だったのだ。

 実は、それ以前の93年(今から21年前)にも試走を行なっている。このときのコースは、日本海の親不知(おやしらず)~栂海新道~朝日岳へ。ここから三俣蓮華岳、槍ヶ岳までは95年と同じコースで、以降、槍沢を下って横尾から蝶ヶ岳~鳥川林道~松本~諏訪湖~横手~甲斐駒ヶ岳~仙丈ヶ岳~塩見岳~三伏峠。「太平洋まで行きたかったが、三伏峠まで10日ほどかかってしまい、タイムアウト。お盆休みが終わってしまって、断念しました(笑)」

 単独での2回の試走を経て、後立山連峰や穂高連峰の縦走は岩稜区間も数多くあり、特に夜間行動は危険であると判断した。
 さらに、時間の問題がある。岩瀬は10日間かけて踏破したが、サラリーマンが撮れる休暇には限りがある。「1週間程度のお盆休みを取るのが精一杯だろう」と感じた。期間は1週間プラスアルファかつ安全なコースということで、現在のコースに至っている。

 当時、国内の山岳レースといえば、富士登山競走や日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ)などが知られていたが、そのどれもが一日で終了する。1週間という長期に及び、途中の宿泊まで含めてタイムが争われるものはなかった。

 岩瀬は、埼玉県に住む登山家の加藤幸光や、アドベンチャーレーサーで第1回日本山岳耐久レース優勝者の田中正人らとともに企画を練り、山岳マラソンやアドベンチャーレースを通じて知り合った仲間たちに声をかけた。
「日本海から日本アルプスを越えて太平洋まで縦走したい人、この指とまれ! という感じで声をかけました。チャレンジ精神旺盛な人が集まったと思います」
 構想から9年――。02年夏、TJAR第1回大会が開催された。


 21年前に始めた岩瀬のチャレンジが、TJARという今や国内でも一目置かれる壮大な山岳レースの誕生へとつながった。95年の単独日本アルプス大縦断から、TJAR第1回が開催となる02年の間も、岩瀬はTJARのコースの一部試走を含め、さまざまなことに挑んでいる。例を挙げると、97年8月:南アルプス・北岳~光岳ワンデイ(23時間12分)、00年8月:スイス・マッターホルン快速登頂、01年7月:北アルプス・立山~上高地ワンデイ(20時間1分)など。

2000年8月、マッターホルン快速登山

そんな岩瀬には、今なお思い描いている構想がある。それは「冬のTJAR」。つまり、TJARの冬山バージョンである。春と冬の雪山シーズンに、すでにコースの一部を試走しているというから驚かされる。
「春は、残雪が多いとラッセルがしんどい。厳冬期は雪面は固くて歩きやすいが寒さがとても厳しい。コケたら助からないような場所も多いので、レースにするのは難しいかもしれないけど、いつか有志でトライアルができたらいいなと思っています」

2013年6月、大峰奥駆

2013年7月、白峰三山

2014年5月、南アルプス・茶臼岳


岩瀬は冬山での凍傷により、10年に足の指の一部を失っている。だが、山への情熱が冷めることはない。
「ちょっとできないかなと思うことに挑戦するのが好きなんですよ(笑)。まぁもう歳も歳ですから、やれる範囲でこれからも何かに挑戦していきたいですね」

TJARは、もはや国内のメジャーなレースとして定着としたといってもいいだろう。創始者・岩瀬はさらにその先を見据えている。59歳の探求心は、とどまるところを知らない。

写真上/2000年10月には日本山岳耐久レースでチーム優勝(チームIMO)、年代別入賞を果たしている。チームメイトには大内直樹がいた

連載 Vol.1 TJARとは--

連載 Vol.2 創始者、岩瀬幹生の挑戦(前編)

 

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