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「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」 Ver.11 松浦和弘(※3回目)

2017.11.14

TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」 Ver.11 松浦和弘 ナンバーカード3  6日間22時間21分(14位) ※出場3回目

 

 手はグローブのように腫れ、短パンからのぞいた脚は見るからに太くなっていた。3度目のTJARは、松浦和弘にとって初めて、“つらさ”が“楽しさ”を上回った。
「明るいうちにゴールしたいと思っていた」(松浦)が、すでに7日目の22時をまわっていた。普段であれば子どもたちはもう寝ている時間だ。大浜海岸が近づくと、息子たちの声が聞こえ、重かった足が少し軽くなった気がした。駆け寄ってきた4歳の長男が張り切って先導するが、そのペースについていけず、苦笑い。ゴールすると、安堵したような表情で2人の息子を抱き上げ、笑顔を向けた。
 実行委員代表の飯島浩からマイクを向けられると次のように語った。
「ビブスの重さを3回目にしてすごく感じました。中途半端な練習量で(臨んで)申し訳なかった。皆さんの応援があったから、ここに来られたのかなと。普通のレースなら市野瀬でやめていたと思う。これを着た以上、絶対にゴールしないといけない、と……」
 そして「苦しいレースだった」と振り返った。

 



ゴール後、太平洋の水に両手をつける松浦。両脚が思うように曲がらなくなっていた(写真=松田)

 

<山好きが高じてのTJAR出場>

 過去2大会は、ビブスナンバー「1」、つまり出場選手中最年少だった。
 本格的な山行は社会人になってからだが、山の経験や知識の豊富さでは、猛者揃いのTJAR戦士たちからも一目置かれる存在だ。
 30歳で初出場した12年大会は7日17時間27分(14位/出場28選手)で完走。「そのまま折り返して日本海をめざしても構わないと思ったくらいに楽しかった」。報告書にはそう記した。
 台風直撃により大会史上最も厳しいコンディションとなった14年は、6日21時間4分でゴール(大西靖之と同着の6位/出場30選手)。薬師岳山頂からの稜線では風速40m/sの暴風雨の中に身を置き、「自然の怖さを感じた」と振り返る。

 14年大会後、次男が生まれた。これまで以上に家族の時間を優先するため、16年に向けては「量より質」のトレーニングに徹した。山行はなるべく日帰りで行った。土曜夜、子どもたちが寝てから自宅を出て登山口へ、深夜0時に登山開始、山頂で日の出を見て下山、そして朝帰宅というのが基本的なパターンだ。午前中のうちに帰宅すれば1日、子どもと過ごすことができる。
 帰宅後、眠くならないのかと訊くと「そこで寝たら意味がないので(笑)」と松浦。その分、夜は子どもと一緒に早い時間に寝てしまうという。

 TJARの参加要件を満たすためには、標高2000m以上でのビバーク4泊以上が必要だが、テント泊をする場合も「ほぼ1日で終わらせる」という。
「一般的には1泊2日の山行なら帰宅は2日目の夕方とかじゃないですか。でも僕の場合、2日目の朝には家にいます(笑)。土曜は10数時間行動して、4、5時間寝て深夜1時くらいに行動開始、下山して、朝には帰宅。そうなるともう資格を満たすためだけの山行になっちゃうので、おもしろくないんですけど……」
 もともと、松浦にとってのTJARは「大好きなアルプスを、なるべくたくさん歩きたい」という思いの延長線上にある。参加要件を満たすための山行は本意ではないが、今の自分が置かれた状況で優先順位を考えたときに、TJARのための山行を効率化させることは必然の課題だった。
 TJARを2度完走したことで、経験値が上がったのは間違いない。
「どのくらいの体調なら、どのくらい予定通り進めるか、というのが想定できるようになったのは大きい」
 松浦はそう語る。記録の向上を狙う、本番で少しでも疲れを溜めないようにするには、準備の段階で2泊以上の長い山行を行なうのが望ましいことは十分理解している。
「そこをなんとか経験でカバーできないかなと……」
 限られた時間で工夫しながら取り組んできた。松浦にとって3度目のTJARは、新たな挑戦でもあった。

 

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