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「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」 Ver.15 恵川裕行(※初出場)

2018.03.09

TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」 Ver.15  恵川裕行  ナンバーカード19  23位(7日間23時間35分) ※初出場

松田珠子=取材・文

 大会期間を通して好天が続いた2016年大会。最終日、制限時間の24時まで残り1時間を切り、ゴール地点の大浜海岸では雨が降り出した。レースを続けている選手は3名。大浜海岸には、深夜にもかかわらず、多くの人が集まっていた。

 23時半を回り、恵川裕行、栗原葉子の2選手が姿を見せると、拍手とともに「おかえり~」「おかえりなさい!」と口々に声が飛んだ。暗がりの砂浜を応援者たちのライトが照らすなか、一歩一歩進み、恵川と栗原は手を取り合ってゴールした。
 恵川の太ももはパンパンにむくんでいた。南アルプスの途中で肉離れをした脚は、すでに限界を超えていた。ゴール後、太平洋の水に入ったものの、波に足をとられ、水の中に座り込んでしまった。一緒に海に飛び込んだ仲間たちからバシャバシャと水をかけられた。
「もみくちゃにされ、水をかけられても、立ち上がることもできないし……(笑)」
 なすすべのない状態だったが、仲間たちに囲まれてのゴールは、至福の時間だった。

 


ゴール後、仲間たちとともに太平洋の水の中へ(写真=宮崎英樹/MtSN)

 

<伊賀で生まれ育って>

 三重県の伊賀市役所に勤務する恵川は、生まれも育ちも伊賀市という生粋の地元民だ。
「田んぼが多いので畦道を走り回ったり、フナを獲りに行ったり、自転車に乗って田んぼにはまったり……、子どもの頃から里山でずっと遊んでいました」
 小3から中学まではサッカーに打ち込んだ。高校時代は「女の子にモテそう、という不純な動機で」(恵川)テニス部へ入ったものの、1年で退部。1年生の終わりに、校内のマラソン大会で陸上部に勝ったことがきっかけとなり、陸上部へ入部。400m、800mの選手として活躍した。800m2分3秒という自己ベスト記録を持っている。
 高校卒業後、地元の伊賀市役所に就職。同じ職場に勤める中高の先輩に誘われ、20代半ばまではトライアスロンに取り組んだ。その後は趣味の釣りに没頭。ランニングは、毎年2月に開催される地元の駅伝大会に向けて期間限定で取り組んでいたが、駅伝が終わるとまったく運動をしない、という生活を送っていた。
 継続して走るようになったのは、30代前半になってからだ。決して太っていたわけではなかったが、「わき腹に異変を感じた」ことがきっかけだった。
「体重は今より少ないくらいだったんです。筋肉が落ちて脂肪が増えていただけだった。これは運動しないとまずいな、と」(恵川)
 この頃から、ハーフマラソン、フルマラソンにも出場するようになった。

 12年の夏、走り始めて3、4年たった頃だ。フルマラソンの記録も徐々に伸ばしていた恵川は、サブ3(3時間切り)を真剣にめざそうと、練習方法について情報を収集していた。そのとき、SNS上で偶然、「TJAR」を知った。

「TJARの12年大会が開催中で、出場していた選手を応援するツイートを目にしたんです。『なんだろう、このレースは』と……」
 ちょうどトレイルランにも興味を持ち始めていた。だがこのときは「なんだかすごく変態なことをしているな(笑)、くらいにしか思わなかった」と恵川。

 このときのレースの様子が、同年秋にNHKスペシャルで放映された。実際に映像で選手たちの姿を見た恵川は、直感的に「これに出てみたい!」と感じた。同じ三重県に住む阪田啓一郎の存在を知ったのも、このときだ。
「三重にこういう選手がいるんだ、と。(放送で)阪田選手がトップを行く望月将悟選手を追いかけながら、道の靴のあとを見て『これは望月さんの足跡や』と言っていたじゃないですか。そういう動物的なところとか、強烈に印象に残っています。あと、病気を克服して出場した北野(聡)さんが上位で完走されていた。40台半ばで、自分だったらできるだろうか、と……。お二人にはすごく影響を受けていますね」

「TJARに出たい」と強く思ったものの、当時はまだ本格的な山に行ったことも、トレイルランの経験もなかった。2年後の次大会をめざすのは難しいと感じた恵川は、4年計画を立てた。
「まず、13年から14年にかけて、トレイルレースに出ることとロングレースに出ること、そしてアルプスに行くこと。15年は実績的なトレーニング。ビバークの要件を満たしながら、経験を増やしていこうと思いました」

 初めてのトレイルレースは、13年3月の新城トレイル32㎞。山を走る経験がないままに出場し、やっとの思いで完走したという。トレイルランは、周囲にも取り組んでいる知人がいたが、TJARのことを教えてもらいたいと、恵川は同じ三重県在住の阪田に、SNSを通じてメッセージを送った。6月に地元のアウトドアショップで初対面。以来、交友を持つようになった。
「トレランのことは聞ける人もいたけど、TJARのことを訊けるのは彼しかいなかった。ギアのことを質問したり、地元に近い鈴鹿の山で トレランしながらいろいろ教えてもらいました」

 同年の7月には、初めて単独で南アルプスへ。広河原を起点に、北岳、間ノ岳、三峰岳、仙丈ヶ岳を辿り、北沢峠に下りて、翌日、甲斐駒ヶ岳経由で広河原に戻るという1泊2日の行程を組んだ。
「天気はまずまずで、夕方に少し雷はありましたけど、あまり雨には降られなかった。ただ、北岳を越えたところで高山病の症状が出て、仙丈のあたりでも吐気や頭痛がひどくて、つらい思いをしました。3000m級の山は、中学の頃に登った富士山以来。これが高山病か、と……」
「高山の洗礼を受けた」と振り返る。その後も、TJARのコースの試走を兼ね、アルプスの経験を増やしていった。

 9月には信越五岳トレイルランニングレース(110㎞)に出場し、17時間50分で完走。着実に目標をクリアしていった。

 

<伊賀トレイルランナーズクラブの立ち上げ>

 14年7月には、TJARの登竜門的なレースともいわれる分水嶺トレイルに出場。地図読みは、地元でオリエンテーリングに取り組んでいる知人に、マンツーマンで教わり習得した。

 さらに同年、大きな出来事があった。伊賀トレイルランナーズクラブの立ち上げだ。伊賀市役所の別の部署の知人から「トレイルランで伊賀市の観光や集客につなげることができないか」と打診を受けたことがきっかけとなった。
「トレイルランナーの松永紘明さんを呼んでイベントをやったんです。そのときにクラブとして活動できないかな、と。口コミで人を集めて、練習会を月1回やり始めて、その練習会の受け皿が必要だと団体を作りました」

 15年の夏は、TJARのコースの試走に費やした。クラブとしては、12月に伊賀フォトロゲイニングを実施。さらに16年に伊賀忍者トレイルランニングレースのプレ大会を開催していたが「8月まではTJARに専念させてもらった」と恵川。周囲の協力を得ながら、自分の目標に向け突き進んだ。

「人に恵まれている」と恵川は言う。自らが精力的に活動しているからこその人の縁なのだろう。活動の幅も、人脈も広がっていった。

 16年に入ってからは、未試走だった南アルプスの荒川岳、聖岳、茶臼小屋を縦走。ロード部分は車で移動し、コンビニエンスストアや自販機の位置、本戦で利用することが可能な店舗等を確認した。

 参加要件を満たしTJARにエントリー、書類選考を通過した。選考会の直前には、阪田、石田賢生、14年頃から親交のあった栗原葉子と選考会のコースの下見に行き、地図を見ながら地形などをチェックした。

 そうして臨んだ6月末の選考会は、悪天候の厳しい条件下での開催となった。恵川は次のように振り返る。
「絶対に、落ちたと思いました。テーピング、ツエルトは大丈夫だと思ったけど、地図読みだけは自信がなかった。天気がすごく悪くて、地蔵尾根も仙丈も、ガスでまったく見えなかったんです。寒さで低体温症気味になって、地図を読めるような状態じゃなかった。もう落ちるのはわかってるから、2日目は北沢峠に下りて帰ろうかなと思ったくらい。でもせっかく来たんだから、行けるところまで行こうと……」

 結果は合格。過去に出場経験のある実力者たちも落選する事態となった。
「運が良かったですね。ただ、地図はかなり慎重に見たんです。1回登って下りて、を繰り返しながら。それがよかったのかなと」

 目標としていたTJARへの出場切符を手にした。

 

#####

<トラブル続きの本戦>

「完走」を目標に挑んだ本戦。スタートから馬場島までのロードは13番手あたりの好位置で走っていたが、厳しい暑さのなか、初日から「熱中症のような症状だった」と恵川。

 


暑さのなか、快調なペースで走る恵川(写真=山田慎一郎/MtSN)

 

山岳区間に入ると、高山病のような症状も加わった。睡眠不足の影響もあるのか「ボーッとした状態で」剣山荘へ。登山道の脇に残っていた雪渓の雪で頭を冷やしながら進むと、いったんは回復した。

 


山岳区間に入ってからはペースを落とす。早月尾根を登る恵川(写真=田上雅之)

 

 

 初日はスゴ乗越でビバーク。2日目、深夜2時半に行動再開。その後、北薬師岳を越えたあたりで、ザックが壊れるというトラブルが起きた。レインウェアをしまい、ジッパーを引き上げた瞬間、ジッパーが弾けてしまったのだ。修理を試みるも直らず。「コンプレッション用のコードで縛り」レースを続行した。



レース初日、一の越山荘で食事休憩。このとき、米田(右)、仙波、桑山らとタイミングが重なった(写真=松田珠子)

 

 2日目も熱中症気味の状態は続いた。それでもNHKの取材カメラを向けられると、つい張り切ってしまい、オーバーペース気味に。そのツケはすぐ回ってきた。日が落ちてからはペースが上がらず、疲労もピークに達していた。西鎌尾根は長く感じた。「泣きそうになりながら」槍ヶ岳をめざした。

 3日目、北アルプスを下山し、ロードを経て中央アルプスへ。

 


2日目、境峠を目指す恵川。暑さでペースが上がらなかった(写真=松田珠子)

 

 旧木曽駒高原スキー場に着くと、レインウェアの上がないことに気づいた。幸い、少し戻ると落ちていた。

 4日目、中央アルプスの宝剣山荘では、携帯電話を落としたことに気づいた。最後に使用した木曽駒ヶ岳まで戻ると、山頂付近にいた登山者が拾ってくれていた。度重なるトラブルは、幸いにもリタイアにつながるほどのことには至らなかった。

 だが、その後、駒ヶ根で、本気でリタイアがよぎる状況に見舞われた。

「駒ヶ根に下りて、コンビニでトイレを済ませて、さぁ走ろうというときに、足裏が痛くて走れなくなったんです。その時点で(スタートから)180㎞くらいかな。残り200㎞以上もあるなんて、絶望的じゃないですか。南アルプスに入ったら途中で止めるのは簡単じゃない。この状態で、山に登れるのか? とか、いろいろ考えましたね」

 痛みは、靴の幅が少し狭かったのが原因だった。走れないほどの痛みで、レースを続けられるのか。自問自答を繰り返した。リスク管理を考えると、このまま山に登る自信はなかった。

「もう無理だと思って、クラブのメンバーに『やめるから』と電話したんです。そうしたら『何を言っているんだ。とにかく市野瀬まで来い』と言われて、市野瀬までは行こうと。そこから30㎞くらい。長かった(苦笑)。でも、市野瀬に着く頃には痛みが消えたんですよ」

 どうしてないのかわからない、と恵川は言う。「不思議な感じでしたね。アドレナリンが出てきたのか……」

 市野瀬には、クラブのメンバーが総出で応援に駆け付けてくれていた。

「伊賀から決して近くないのに、みんなが来てくれたことが嬉しくて。みんなの顔を見るうちに、だんだん足の痛みを感じなくなって……。ほんまに気持ちの持ちようというか、本格的なケガじゃなければ、体は動くもんやな、と。気のせいやと思って、自分に言い聞かせたら、行けるのかなと思いましたね。実際、精神的には限界だったと思うんですけど、肉体的にはまだ余裕があったんやと思います」

 仲間たちの応援が、精神的な限界を引き上げてくれた――そう実感した。

 


市野瀬にて仲間たちと。一時はリタイアを考えながら、市野瀬に着くころには不思議と痛みがなくなっていた(写真提供=恵川)

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