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連載「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」 Ver.23 男澤博樹 ※初出場

2018.08.08

「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」 Ver.23 男澤博樹 ナンバーカード22 15位(6日22時間54分) ※初出場

松田珠子=文

 

 大浜海岸へと続く階段を力強く上がると、前方にゴール地点が見えた。多くの応援者や関係者に囲まれて歩きながら「やったぁ!」とガッツポーズ。フィニッシュゲートに到達し、応援者たちに向かって頭を下げると、男泣き。ゴール直後のインタビューでは、レースの経過に触れた後、次のように語った。
「TJARを志してから、言葉にできないほど努力しました。人間性も高まって、謙虚にもなった。最高の舞台に立てて。今までの人生にないほど、パフォーマンスを発揮できた。今後、次の壁も乗り越えられる自信がつきました」
 15位、6日22時間54分。レース序盤では完走が危ぶまれるほどの状況に陥りながら、驚異の巻き返しを見せた。男澤博樹にとって4年越しの夢が叶った瞬間だった。
 

ゴール直後、感極まって涙。夢にまで見た瞬間だ(写真提供=男澤)

 

<実業団の陸上選手からプロボクサーへ>

 東北、宮城県石巻市の出身だ(※2011年の東日本大震災時、男澤は名古屋赴任中、また実家は山の上で地盤がしっかりしていたため被害はほとんどなかったが、多くの親戚や友人を亡くしたという)。

 身長176㎝の現在の姿からは意外に感じるが、生まれたときは体重が2000gに満たない未熟児だったそうだ。中学生になっても同級生より一回り小さく、「からかわれる対象だった」と男澤は言う。

 山が好きだった父の影響で、小さい頃から、栗駒山、岩手山などの東北の山にはよく連れて行ってもらった。

 体が小さく、スポーツをするのに身体的に恵まれていたとは言い難いが、子どもの頃から努力型で、校内マラソン大会では常に上位だった。中学では野球部だったが、駅伝シーズンになると駆り出され活躍。高校には陸上のスポーツ推薦で入った。

 高校に入学すると身長が急に伸びた。陸上部に入り、5000mと3000m障害を専門に取り組んだ。「県大会レベル」と本人は言うが、卒業時には5000m15分50秒で走り、地元の実業団YKKから誘いがかかった。大学に進学したい気持ちもあったが、家庭の事情もあり就職を選択。

 実業団の練習は厳しかった。「毎日20㎞程度は走っていた」と男澤は振り返る。勤務をしながらのハードな毎日だったが、真剣に取り組んだことで記録は伸びた。だが大会や駅伝でなかなか正規の選手に選ばれず、徐々にやる気が削がれていった。
「自分には陸上は無理だと、1年半で見切りをつけました。20歳の頃ですね」

 当初は、陸上部を辞めても会社に残れば定年まで安泰だと思っていたが、いざその状況に立たされたときに、そんな気分にはなれなかった。

 陸上とは別の何か自分が打ち込めることを見つけたい――漠然とそう思っていたとき、たまたまテレビでボクシングの試合を見た。92年12月、WBA世界ジュニアバンタム級タイトルマッチ、鬼塚勝也(協栄ジム)とメキシコ人のアルマンド・カストロの試合だった(結果は鬼塚が3対0の判定勝ち)。その試合を見て、男澤は衝撃を受けた。
「これだ! と思いました。ボクシングをやろうと。鬼塚勝也のようにカッコ良く生きたい。ゼロからもう一度やり直そうと」

 地元にあるジムも探したが、プロをめざすなら都会のジムに入るのが近道だろうと単身上京。警備の仕事をしながら、縁あって出会った人から紹介してもらったボクシングジムに通い、基礎を身に着けたのち、横浜・鴨居の花形ジムに移籍。半年後、元世界ストロー級チャンピオンの大橋秀行が横浜にジムを開設すると知り、「憧れの大橋選手の第一期生になりたい」と、ジムのオープン初日に移籍した。94年のことだ。

 アマチュアの試合では、95年に国体予選(神奈川県)で準優勝。その翌月、プロテストに合格し、男澤は大橋ジムのプロボクサー第1号となった。のちのスーパーフライ級世界チャンピオンの川島勝重は後輩にあたる。大橋ジムには5年ほど在籍。実力は認められていたものの、戦績は1勝5敗とふるわず。そのうちボクシングへの情熱も薄れ、荒んだ生活を送るようになる。あげく外国人と喧嘩し、意識不明の重体で病院に搬送される事態に。幸い大事にはいたらなかったが、「どん底」(男澤)だった。25歳でボクシングを辞めた。

 


プロボクサー時代の男澤(写真提供=男澤)

 

 その後、このまま終わるわけにはいかないと、スノーボードに熱中しインストラクター資格をとるまでになった。冬は志賀高原のスキー場で働いた。雪山登山もこの頃に経験した。

 シーズンが終わり、東京で就職先を探し、コピー機のサービスマンになった。この頃は冬はスノーボード、夏はサーフィンに熱中した。この後、仕事の成績がよいために営業をやるようになり、営業に行った先の企業からヘッドハンティングを受け、転職を決めた。これが今も勤める会社だ。

 勤務先が名古屋となり、関東を離れることになった。結婚し、09年に長男が誕生。夏、山中湖に家族旅行した際、富士山の美しさに目を奪われた。

「あまりに(富士山が)きれいだったので、まともな装備もないのにフラッと山頂まで登りました」

 名古屋に移り、海が遠くなったことでサーフィンに替わる趣味を見つけたいと思っていたときだった。このときの富士登山がきっかけとなり、男澤は山に通うようになる。2010年の頃だ。

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