MtSN

登録

「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」Ver.24 村上貴洋 ナンバーカード18 DNF ※初出場

2018.08.08

TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」Ver.24 村上貴洋 ナンバーカード18 DNF(6日16時間19分、聖平小屋手前) ※初出場

松田珠子=文

 

 聖岳からの下りでは、右ひざ上の痛みが強くなっていた。普通に進むことができなくなっていた。すでに時間的な余裕はなく、このまま進んでも、茶臼小屋からの下りで時間切れとなる可能性が高い。だがそこまで行くと圏外で携帯電話がつながらない。伝えるべきタイミングで伝える必要がある。やめたくはない。でも――。

 妻に電話をかけると、涙で言葉が出なくなった。状況を把握した妻も電話の向こうで泣いているのがわかった。

「無理をしないように、でも、最後までやりたい。スイーパーに追いつかれるまではやろう」。そう決めた。その後、最後尾を進んでいた竹内雅昭と、スイーパーの中村雅美、町田吉広に追いつかれた。リタイアを告げようとすると、涙があふれた。

「18番村上、足が動かないので、リタイアします」
 声を絞り出して、そう伝えた。
 村上貴洋の初めてのTJARは、6日16時間19分でリタイアという結果だった。

 


三伏峠手前にて。このときは完走を信じていた(写真提供=村上)

 

<仙波氏のブログがきっかけで>

 兵庫県出身・在住だ。スポーツの経歴は、小学生の頃からサッカー一筋。学生時代、社会人になってからも続けていた。「うまくはないけど、ずっと続けていました」。社会人になってからは、チームのまとめ役も務めていた。だが30歳を過ぎ、結婚して家庭を持ったり、仕事が忙しくなるなど、それぞれ環境の変化により、メンバーの集まりも悪くなっていった。
「チームスポーツは難しいと感じるようになったんです。何か一人でも楽しめるスポーツがしたいな、と思って、登山を始めました」
 それ以前にも体力作りで走っていた。サッカーをやりつつ、マラソンの大会に出ることもあった。山に行くようにはなったが、当初は、登山とランニングは別ものとして取り組んでいた。

 

 12年夏、村上は夏休みを利用し、単独で中央アルプスへ。悪天候となり、木曽駒ヶ岳から宝剣山荘へ。山荘で宿泊し、翌朝も天候は悪いままだったが宝剣岳から南へと出発した。
「山荘の入口にずっと外を見ている人たちがいて、何かあるのかなと思っていたんです(後にNHKの取材班だったのだと気づく)。けっこうな暴風雨の中、南に向かって歩いていたら、逆走応援の人から『選手の人ですか?』と。ただ(モンベルの)トレントフライヤー(※TJAR選手にも人気の薄手のレインウェア)を着ていたからだと思うんですけど。で、何の大会なのか教えてもらって、3時間前にトップ選手(望月将悟)が通過した、と聞いて……。帰って調べてみたら、こんなおかしなことをする人たちがいるんだと(笑)」
 TJARを知ったのはこのときだ。だが、この時点では興味を持つことはなかった。テレビ放映されたことも知らなかった。

 その後も、登山とランニング、それぞれに取り組んでいた。しばらくして「マラソンの記録が伸び悩み」トレーニング方法を調べていたとき、山を走るトレーニングがよい、という記事を目にした。
「六甲山を走ってみようか」
 それまで歩いたことしかなかった六甲山を走るようになり、山のレースを調べているうちに、UTMFを知った。
「UTMFにはポイントが必要だと。(兵庫から)近いところだと、OSJ氷ノ山山系トレイルレースがポイントの対象だと。調べている中で、仙波(憲人)さんのブログに行き着いたんです」
 14年7月のことだった。TJAR出場をめざしていた仙波は、14年大会のエントリーに必要な参加要件を満たすため、13年の氷ノ山のトレイルレースに出場していた。
「『これで参加要件が揃った』と書いてあって。この人、TJARをめざしているんだ、と。最新の記事には『明日、抽選会がある』とあった。そこから、毎日仙波さんのブログを見るようになりました」
 仙波は、トレイルレースへの出場回数は多くなかった。村上は当初、仙波は山の経験が浅いのだと思い、「このくらいの人でもTJARをめざしていいんだな」と感じたという。
「あとになって、仙波さんはレースに出ていないだけで、かなり鍛えていると知ったんですけどね。でもそのときは『こんな素人でも出られるんだ』と思ったんです」

 14年のTJARは、インターネットで、仙波をはじめ、選手たちの動向を追っていた。どんな選手が出ているのだろうと調べていると、渡部祥(14年は選考会に通過したが抽選で落選)のブログに行き着いた。
「そこでまた、やっぱりすごい人たちが出るもんなんだ、自分がめざしちゃいけないんだ、と再認識したんです」

 TJARへの憧れは抱きながらも、自分なんかがめざせるような舞台ではない、と感じていた。
 そんななか、14年12月、フルマラソンで3時間20分を切ったことで、TJARの参加要件の一つをクリアした。
「そこからですかね。できるところまでやってみようかなと……」

 

<TJARへの道>

 振り返ると、TJAR選手たちほどの行動スピードではないにしろ、2泊3日くらいの縦走で1日12時間くらい歩くことはしていた。
「それ以上のことはやっちゃいけないと思っていた」と村上は言う。あえて夜間行動はしたことはなかったが、テントを背負って3泊くらいの縦走はしていた。TJARの参加要件は、自分がやっていることの延長だった。

 15年夏からTJARを意識した山行に取り組むようになった。休みがとれれば、アルプスに足を運び、コースを試走した。
「山に行くたび『これなら行けるかも』『やっぱりダメだ。自分は無理かもしれない』という繰り返しでした。行動スピードだったり、悪天候でのダメージだったり……。自分のレベルでめざしていいのかな、というのはずっと思っていました」

 TJARに出場するまでには、書類選考と選考会がある。最終的には「ダメなら落ちるだろうし、書類選考も通らない可能性もある。実行委員が判断してくれるんだから、やってみよう」とエントリーを決めた。
 そして書類選考、選考会に合格。抽選は行なわれず、本戦への出場が決まった。選考会は、自分のやれることはやったものの、受かるとは思っていなかったという。合格の通知が来たときは「びっくりしました。2時間くらい、震えが止まらなかった」。

 本当に自分が出場していいのか、半信半疑だった。それでも、やれるところまでやろうと、本戦に向けては、まだ足を運んでいなかったコースを試走した。

 

<睡眠不足が続き>

 初出場のTJARは、「完走」が目標だった。
 1日目、最初のロードは、田中、桑山、江口、柏木らと前後しながら走り、馬場島を20位前後で通過した。剱岳を越え、立山・雄山以降は渋滞で仙波、米田、桑山らと合流、一ノ越へ。

 


初日、序盤のロード区間を快調に走る(写真=山田慎一郎/MtSN)

 


剱岳に向かう(写真=田上雅之)

 

 初日は恵川とともに、スゴ乗越小屋まで進んだ。
 2時間半の睡眠で再出発。2日目、眠気にも見舞われながらマイペースで進む。途中、数十分の仮眠はとったが、しっかり休息をとらずに進んでいたことで、行動スピードが上がらなくなっていた。

 3日目朝7時、上高地の関門を制限時間の1時間前に通過した。
 旧木曽駒高原スキー場までのロードは暑さとの戦いとなったが、村上にとっては暑さよりも睡魔のほうがつらかったという。

 


暑さのなか、境峠に向かう(写真=松田)

 

 4日目、中央アルプスへ。木曽駒ヶ岳手前で内山雄介と合流。宝剣山荘で食事をした。
 4日目のうちに駒ヶ根に下りようと気持ちを入れ直すが、日が落ちるとなかなかスピードが上がらない。短い仮眠を何度かとりながら、下山。

 


木曽駒ヶ岳山頂にて内山雄介と(写真=村上提供)

 

 市野瀬には5日目の朝7時過ぎに到着。妻と幼い子どもたちが待っていてくれた。

 10時前に再出発し、南アルプスへ。
 睡眠不足は気になりつつも、「完走」は視野に入っていた。
「眠くて思うように動けないんですけど、TJARを分析すると、北アルプスでもコースタイム70%で関門を越えますし、南(アルプス)は(コースタイムの)80%で行けるんです。南まで来れたので、焦りはなかった。まだいけるなという感触はずっとありました。どこかで寝ないといけないなとは思いながら、どこまで行けるかなと……」

 地蔵尾根のきつさは覚悟していた。「ここが踏ん張りどころ」と自分に言い聞かせた。しかし、睡眠不足が続いたことで、体は限界だった。異変が起きたのは、地蔵尾根を登り切ってからだった。
「いちばん怖かったのが仙丈ヶ岳のあたりです。自分がかなり壊れてきていた。仙丈ヶ岳の一つ先のピーク、大仙丈に向かうところで『おかしい、道がない』とハイマツを無理やり下りようとしたり……。頭がボーッとしながら、何をやっているんだろうという感じだった」

 仙丈ヶ岳から大仙丈ヶ岳に向かうコルで、体がまったく動かなくなった。
「先に進むのを体が拒んで進ませてくれない感じ。『頼むから、とにかく寝てくれ!』と言われているようだった」
 こんなに標高の高い場所で寝てもいいものかと迷ったが、体は限界だった。
 少し戻ったところにハイマツと岩の窪みのような場所を見つけ、ヴィヴィにもぐりこみ、シュラフを巻いてビバーク。標高2930mあたりの場所だったが、風の当たらない場所だったこともあり寒さは感じず、ぐっすりと眠りに落ちた。「TJAR期間中、一番の快眠だった」と村上。

 ふと視線を感じ、ハッと起きてスイーパーの福山智之、宮崎崇徳を見たときには、5時間が経過していた。レースを続ける選手の中では最後尾になっていたが、10分前方に岩崎がいると聞いて、気を取り直した。
「そこで寝たことで、ある程度は復活したんです。関門の三伏峠までは楽しかった」

 


標高3000m近い場所で「5時間爆睡した」と村上。発見した
スイーパーの福山は「まさかの場所でのビバークにビックリした」

 

 6日目、13時半に塩見岳。三伏峠に16時15分に着くと、岩崎と竹内が食事をしていた。三伏峠を17時前に出発。その後、睡魔に襲われ、途中2時間半の仮眠。7日目の深夜1時半過ぎに高山裏避難小屋を通過した。きつさを感じながらも、なんとか完走を信じ、歩みを進めていた。

 


塩見岳手前にて。撮影はスイーパーの福山

 

 右ひざ上の内側の筋肉に違和感を覚えたのは、赤石岳から下っているときだった。膝になるべく負担をかけないようにと意識してきたつもりだったが、急速に、違和感が痛みへと変わっていった。

 痛みと戦いながら「やっとの思いで」聖岳に着いたのが14時40分。ここからの下りで、踏ん張りが利かず、転倒してしまう。
 痛みに耐えながら小聖岳まで下るが、大きくペースダウンしたことで、完走は絶望的となっていた。
 特に下りでは踏ん張りが利かず「精神面でどうこうできるものではなかった」と村上は振り返る。
 なんとか進む方法を考えた。片足ケンケンや後ろ向きで進むことも試した。だが残された時間を考えると、後ろ向きで歩みを進めたところで、井川オートキャンプ場の最終関門に間に合うわけはなかった。
「足が痛くなる前の状態で、ギリギリいけるかどうかだったので、足が痛くなったので……厳しいなと……」
 妻に電話したあと、20分ほどで最後尾の竹内とスイーパーに追いつかれた。竹内と言葉を交わすと、涙が出た。竹内は「ほれ、行くぞ!」「早く来いよ~!」「聖平小屋で待ってるぞ~」と、先に進みながらも大声で村上に声を掛けた。村上は涙で答えることができなかった。リタイアは決めたものの、「本当に終わってしまうと思うと怖くてなかなか言えなかった」。だが、スイーパーやNHKの撮影クルーに時間をとらせてもいけない。言おうと決心すると、また涙があふれた。ひとしきり泣いた後、スイーパーの中村雅美にリタイアを告げた。

 その日は聖平小屋に泊まり、スイーパーの須田忠明らと翌朝下山した。その足で、須田の車で静岡市街地をめざした。

 


リタイア後、聖沢登山口に下山(スイーパーの須田撮影)

 

 当日、大浜海岸で待ってくれていた家族がちょうど静岡駅から帰るところで、須田に頼んで静岡駅に立ち寄ってもらい、10分ほど家族に会うことができた。その後、大浜海岸へ。
「大浜海岸は、行きたくて須田さんに連れて行ってもらいました。まだ恵川さんとか内山さんがレースをしていたので、ゴールには行きたいと。でも居心地はよくはなかったですね」

 


大浜海岸で、ゴールした岩崎勉と話す村上(写真=宮崎英樹/MtSN)

 

<18年をめざして>

 16年のレースを振り返ると「全体的には楽しかった」と村上は言う。
「前後する選手たちとの絡みもけっこうあったし、ずっと天気がよくて景色もよかった。ただあまりにも寝れなさすぎて……。正直、天候に恵まれたからあそこまで行けたものの、悪天候だったらどうなっていたかわからない。本当に常に眠かった。『自力下山』が前提である以上、リタイアは後悔していない。実力不足でした」
 リタイアしたことで、自分の課題が浮き彫りになったと村上は言う。
「登りのスピードがほかの選手より圧倒的に遅いなと。登りのトレーニングをそんなにしたことがなかった。あとは疲労を『しっかりした睡眠で回復させる』ということもちゃんとわかっていなかったなと」

 16年大会が終わった直後は、18年をめざそうとは思わなかった。
「出たかったロードレースに出たりして、年内はわりとゆっくりしていました」
 年末、新藤衛から「このままで終わるのか?」と言われたことが、再チャレンジの後押しとなった。
「やりたい気持ちはあったけど、危険なことだというのがあるので、まだ子どもが小さいし迷うところはあった。恐らくやりたいと言えば、妻はいいよと言ってくれると思いました。でも本音はやめてほしいと思っているだろうなと」
「たぶん、お互いにモヤモヤしていた」と言う。
 新藤の一言で背中を押され、村上は妻にもう一度チャレンジしたいと伝えた。妻は了承したうえで、「死なないでね」と村上に言った。
 妻の了承で、スイッチが入った。

 

 その後はTJARに向け「めちゃめちゃ、気持ちを入れてやりました」と村上。
 重視したのは、山での行動スピード、登りのスピードを上げることだ。トレーニングでの獲得累積標高にこだわり、冬の間も六甲山に通った。休日だけでなく、平日も、早朝暗いうちから山に入り、そのまま会社に出勤するという生活を送った。
「これができなければ(TJARに)エントリーしない」――そう自分にプレッシャーをかけた。
 ロゲイニング、OMM等、地図読み系のレースにも多く出場した。

 18年に入ると、自分の力が格段とアップしている実感があった。同じ関西(大阪)の新藤と山に行く回数も増えた。
「力のある新藤さんに『山に行きましょう』と自分から言えるほど、自信がついた」

 そして18年大会にエントリー。
「選考会が楽しみで仕方がなかった」
 2年前とはまったく違った心境で挑んだ選考会。手ごたえも十分だった。
 が、結果は不合格。
「いろいろあったんですが、今思うと過信があったのかもしれないし、配慮や謙虚さが足らなかったかもしれないなと思う」
 2年間、TJARに向けて努力を重ねてきた。その日々は「つらいことのほうが多かった」と振り返る。やるだけのことをやってきて、残念な結果となったが、その努力は無駄ではなかったとも感じている。

 

 TJARへの再挑戦は、今は「やるとも、やらないとも考えていない」と村上。選考会の結果を受け、16年に共に出場したTJAR選手ら、仲間たちから多くの言葉をかけられた。中でも新藤からの「次の目標は自然に湧いてくるから大丈夫だ」という言葉に、前を向く気持ちになれた。
「せっかく行動力が上がったので、何かやりたい」と村上は言う。
 次の目標が見えたら、それに向けて真っ直ぐ進むだけだ。

 

 

村上貴洋(むらかみ・たかひろ) (写真=山田慎一郎)
1976年兵庫県出身・在住。会社員。スポーツ歴は、小学生時代から社会人までサッカー。20代半ばからランニングを始め、35歳から登山を始める。15年からTJARをめざした。

 

<主な戦績>
2017年5月 俺チャレ STK(塩屋~(六甲縦走路)~生瀬~(中山連山)~箕面~(東海自然歩道)~嵐山~(京都一周トレイル)~大谷~宇治~津田~(生駒縦走路)~高井田~(ダイヤモンドトレイル)~(紀泉アルプス)~加太)総距離約400km 累積標高約2万3000m 118時間27分(4日と22時間27分)
2017年11月 OMM JAPAN 2017 スコアロング 総合2位
2017年11月 沖縄本島一周サバイバルラン400km 総合9位
2018年5月 フォトロゲイニング生駒2018 男子1位

 

<選手へのQ&A>

――日頃の山行を含めた好きな山域は?
A: 日頃は六甲縦走路の西のほうを走っています。好きな山域は大峯奥駈道。修験道の修行の道である大峯奥駈道は、心身ともに鍛えられる気がするから。

――今回のTJARの装備でのこだわり、工夫は?
A: 装備品としては特にありませんが、いくつも比べられるほど金銭の余裕はないので(笑)、「これだ!」と購入するまでに、過去の報告書やブログ、様々な情報から徹底的にいろいろ調べる努力が工夫と言えるでしょうか。あとは一度購入したらその装備のよいところを好きになる努力ですかね(笑)

――山行で必ず持参する補給食は?
A: 最近はパン。家にある大袋に入った菓子パンを適当に持っていきます。

――レース中、おいしかったものは?
A: かなりいろいろとヤラレてましたが、食欲だけは旺盛にあり、どこでもおいしくたくさん食べられました。
そのなかでも市野瀬(入野谷)で食べた豆乳や野菜ジュースやみかんやバナナの差入れは心に沁みました。 ※2018年から差入れ禁止

――レースが終わったら食べたかったものは?
A: 焼サバ定食、豆腐、納豆、肉じゃが等 普段家で食べさせてもらっているもの。

 

<装備とウェア>

【ザック】山と道/mini
【露営具】信州トレイルマウンテン/ストックシェルターPro
【寝具】SOL/エスケイプヴィヴィ、finetrack/ポリゴンネスト1×1AUL
【マット】山と道/mini付属ミニマリストパッド
【ストック】ヘリテイジ/ULトレイルポール
【ライト】SILVA/TRAIL RUNNNER2、GENTOS/閃325
【ファストエイド・ケア用品】絆創膏、マメ・靴擦れブロック
【シューズ】adidas/adizero mana7wide
【シャツ】Houdini/Velo Tee
【アンダーシャツ、パンツ】finetrack/スキンメッシュ
【パンツ】Teton Bros/ELV1000 Short
【レインウェア上】Rab/Flashpoint Jacket
【レインウェア下】モンベル/ストームクルーザー
【タイツ】C3Fit/インパクトエアー ロングタイツ
【アームカバー】finetrack/アクティブスキン
【ソックス】drymax/maximum Protection Trail Running1/4Crew
【キャップ】finetrack/レイルオン キャップメッシュ
【防寒着】finetrack/ポリゴン2UL
【手袋】福徳産業/吸ちゃん、ショーワ/テムレス

 

連載「TJAR2014 30人の勇者たち」

 

連載「TJAR2016 鉄人たちの熱い夏」

 

最新ニュース

勝つためのコンディショニングを伝授!
トップランナー奥宮俊佑氏とコンディショニングスペシャリストの桑原弘樹氏が身体のケアとコンディショニング法を語り尽くす!
マウンテニアリング思想から生まれたギア
2018年にトレイルランニングに本格参入したミレー。老舗登山メーカーにより開発された、信頼のトレイルランギアに注目。
大注目のNewモデル、レイドライト
バックパックやウェアでで評価の高いレイドライト、シューズ戦線に本格参戦。距離・サーフェス・走りの志向に応じたモデルを用意。
皮膚を守ることが完走へのパスポート
トランスジャパンアルプスレースでも実証された、皮膚保護クリーム「プロテクトJ1」の実力をレポートする。
過去の記事を見る
MtSNが過去に掲載した注目の特集・連載記事のアーカイブ。ニュース記事のインデックスとしてご利用ください。
トレイルランPRニュース
イチ押しの大会や、最新のギアやサプリなどの注目情報はこちら!