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連載「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」Ver.29 渡部祥 ナンバーカード9 3位

2018.08.16

連載「TJAR2016 - 鉄人たちの熱い夏」Ver.29 渡部祥 ナンバーカード9 3位(5日10時間52分) ※初出場

松田珠子=文

 

 望月将悟、紺野裕一に続いて3番目に大浜海岸に姿を見せたのは、初出場の渡部祥だった。静岡駅まで3㎞というところで脛を痛め、走れなくなった。さらには静岡駅以降、大浜海岸への道を間違え、最後に遠まわりしてしまった。
 NHKカメラに張り付かれながら海岸線に出ると、数百メートル離れた場所にフィニッシュゲートが見えた。皆が待ってくれている。急ぎたいが走れない。痛む脚を引きずるようにして歩きながら、ゴールへ。両親や仲間たちに迎えられ、フィニッシュ。5日10時間52分、3位でのゴールだった。
 寡黙で喜怒哀楽をあまり表に出さない渡部だが、このときばかりは表情が崩れた。
「最後、ラストスパートでかっこよく走りたかったけど、脛を痛めて走れなくなって、この暑い中、皆さんを長々とお待たせして申し訳なかったです。最後は締まらなかったが、皆さんに迎えていただいて本当に嬉しかったです。ありがとうございました」
 14年には選考に合格しながら抽選で落選。迷い、悩み、苦しんだ2年間だった。皆が自分のゴールを喜んでくれるのも嬉しかった。
「頑張ってきてよかった……。やっぱりTJARはいいな」
 心から、そう感じた。

 


最後は足を痛めたものの、5日10時間52分の歴代6番目のタイムでゴール(写真=山田慎一郎/MtSN)

 

<自分の脚での“旅”>

 福島県で生まれ育った。子どもの頃は山や川が遊び場だった。高い山に登ったことはなく、渡部にとって山は、虫を採ったり秘密基地を作る場所だった。大学(防衛大学校)進学をきっかけに上京。学生時代はフィールドホッケーに打ち込んだ。大学の訓練で富士山に入ったり、荷物を担いで夜通し山を歩くこともあったが、当時は訓練の厳しさとそうした訓練に意義が見いだせず「山は嫌いだった」という。

 一般企業に就職後は、仕事一辺倒の生活を送っていた。

 あるとき、住んでいた横浜で、通勤でいつも通る橋の上から富士山が目に留まった。
「それまで仕事ばかりしていて気づかなかったけど、富士山がきれいに、しかもすごく近く見えたんです。あそこまで走っていけそうだな、やってみよう、というのがいちばん最初ですね」
 さっそく翌週、有休を取り、横浜の自宅を出発。荷物を担いで箱根を越え、富士山の山頂をめざした。3日かけて往復した。「半分歩きだったが、自分の脚でやりきることに意義を感じていた」と渡部。このとき富士山から見た景色に魅了された。嫌いだったはずの山が好きになった。
「もっともっと遠くまで、自分の脚で旅してみたいと思った」

 ちょうどこのころ、おもしろい挑戦を耳にした。
「アメリカのアドベンチャーチームがアマゾンの地図に南北まっすぐに線を引いて、その直線を辿るように縦断した、と。それを聞いて『自分もやりたい』と思い、似たようなことができないかなと。じゃあ九州で一人でやってみようと……」
 渡部は、鹿児島空港から門司港までまっすぐ線をひいて、その線を辿ることを思いつく。移動手段は「足」だ。夏休みを利用し、簡易テントを担ぎ、街の中はスーパー銭湯などに泊まり、8日間で九州を縦断した。
「自分で地図を見ながら、ここからここをつなぎたいなとか、ここをぐるっとまわったらおもしろそうだなとか。30代の前半はそんなことをいろいろやりました」

 琵琶湖を一周したり、鹿児島から青森をいくつかの区間に分けて縦断したこともある。ウルトラマラソンのレースにも多く出場するようになった。12年5月には、太平洋(東京湾)から日本海(新潟市)まで結ぶ「川の道フットレース」(520㎞)に出場し、完走。いろいろな挑戦をするなかで、いつか日本アルプスの全山を辿って日本海と太平洋をつなげてみたいと思っていた。そんなとき、TJARのことを知った。12年秋のことだ。
 自分が夢に描いていた日本アルプスの全山縦走。TJARについて調べるほど、このレースに挑戦したいという気持ちが高まった。
「いつかやって見たかった夢が、具現化した目標へと自分の中で変わりました」

 

<抽選で落選した14年、2年後の再挑戦>

 そこからはTJARのための日々だった。TJARの要項を読み込み、コースを分析し、装備を研究した。山の経験を積むため、休日は山に籠った。12年に仕事で富山県に転居し、北アルプスが近くなった。トレーニングには恵まれた環境だった。13年夏にはトレーニングキャンプにも参加した。
 平日はロードで走力強化、週末は山へ。仕事以外の時間は、TJARのために費やした。

 そうして14年大会の選考会に挑み、合格。12年大会を完走した出場希望者と選考会合格者の合計が定員を超えたことから、抽選となり、7名が落選。その中に渡部の名前があった。
 当初から、14年大会の出場が叶わなければさらに2年後をめざそうという気ではいた。だが、実際に落選した後、気持ちを立て直すことは、思っていた以上に難しかった。
「14年をめざしていたときは、あまり迷いがなかったんです。めざしている段階で、当然、抽選になるだろうとは思っていたし、頭では『自分が落ちるかもしれない』とわかっていた。でもどこかで、こんなに頑張っているんだから行けないはずはないと、変な自信があったんです。でも実際に、14年に落選して……。そこからの2年間の考え方とか、気持ちの持ち方は全然違いました」

 現行のルールでは、選考会に合格して抽選に落選しても、2年後に優遇されることはない。2回続けて落選する可能性もある。
「16年に向けて頑張ろう、と思っても、また落ちるかもしれない。いくら頑張っても、抽選の確率が上がるわけじゃない。頑張った分だけ、積み重ねた分だけ、失ったときのダメージが大きい。それが『運が悪かった』ということだけで済まされてしまう。いい感じにトレーニングができていても、ちょっとしたことで頑張れなくなったり……。そこから気持ちを立て直して、でもまた気持ちが落ち込んだり……その繰り返しでした」
 葛藤しながらも、自分は本当にTJARに出たいのかさえ、わからなくなることもあった。

「結局、最後は“運”だというのは変わらない。やりたいことをやっているはずなのに、どうしてこんなに苦しいのか。14年に落ちたから、それまでやってきたことを無駄にしたくなくてTJARにしがみついているだけじゃないかと。本当に自分はこれをやりたいのか? つまらないプライドや自己顕示欲でやろうとしているだけなんじゃないか? といろんなものをそぎ落として考えていくんです。そうすると、やっぱりやりたい、と。やるなら、悔いのないようにしっかり準備して挑みたい。そのためには頑張るしかない、と……」
 何度も自問自答、自己分析を繰り返し、自らを鼓舞した。

 やるのなら後悔だけはしたくなかった、と渡部は言う。16年は、最後のTJAR挑戦のつもりだった。
「16年は、出場できてもできなくても、最後のつもりだった。だから、悔いのないようにやりきるんだと。そうやって自分に言い聞かせないと、頑張れなかった」

 

 14年大会出場を逃した後、パラグライダーとの出会いがあった。「X-Alps」(※パラグライダーとトレッキングが融合したアドベンチャーレース)を知り、TJARの次はこれに挑戦したいと、立山のパラグライダースクールに入った。「X-Alpsを知って挑戦したいと思ったけど、すごく難しいレースなので、出場できるとしても、5年とか6年とか、もっと先の話だろうと。まずはTJARを頑張ってからだと」

 仕事がある平日はロードのランニング。金曜日に仕事が終わると、家から山まで30㎞走り、朝まで山の中を走り、日中はハイクしてパラグライダーで飛び、夕方になったらまた山の中を走る。途中、ビバークスタイルで「眠くなったら少し寝る」。それを繰り返して日曜の夜に帰宅するのが週末の過ごし方だった。
 3日以上休みが取れるときや、気象条件が悪くパラグライダーで飛べないときは、TJARのコースで「本戦を想定したシミュレーション」を行なった。

 

 そうして、16年大会にエントリー。選考会は悪天候の中となったが、冷静に力を出し切り、合格。抽選は行なわれず、すんなりと本戦出場が決まった。
「あっけなく決まった感じで、ほんとなの? と。ほっとしたんですけど、これは嘘なんじゃないか? と(笑)」
 2年間、悩み苦しんだ分、当初は素直に受け入れることが難しかったという。それでも、最大の目標としていた舞台に立てることが決まったのだ。あとは悔いのないように、自分の力を発揮するだけだった。

 

<初出場で3位>

 16年大会、本戦。目標を「6日切り」と掲げてはいたが、「順位や記録は相対的なものなので、もともとあまり気にしていなかった」と渡部は言う。
 暑さの中、馬場島までのロードをマイペースで走り、6、7番手あたりで山岳区間へ。

 


序盤のロードを快調に走る(写真=山田)

 


早月尾根を進む(写真=田上雅之)

 

「だいたいイメージどおりに進めた」という初日は、ホームグラウンドともいえる北アルプスを快調に進んだ。初日は黒部五郎小舎でビバーク。2時間でアラームをかけていたが、1時間寝過ごした。

 


一の越山荘前で実行委員の越田に迎えられる(写真=松田珠子)

 


一ノ越を過ぎ、浄土山へ向かう。後方に剱岳が頭だけのぞかせている(写真=山田)

 

 2日目の午前中、上高地に到着。望月、紺野、朽見太朗に続く4番手だった。


上高地のCPに到着。ここからは灼熱のロードを走った(写真=山田)

 


ヘルメットには仲間たちのたくさんの寄せ書きが(写真=山田)

 

 上高地からのロードは暑さとの戦いとなった。
「アスファルトの照り返しが本当に暑かった。いちばん暑い時間帯だったので、そこでけっこうバテました。水を摂り過ぎたのかもしれない……」


奈川渡ダムを過ぎ、境峠をめざして灼熱のロードを進む(写真=山田)

 

 この日は旧木曽駒高原スキー場で2時間仮眠し、翌日中央アルプスへ。補給はできていたものの、体に力が入らない状態が続いていた。

「中央アルプスは調子が悪かった。いくら食べてもエネルギーにならない感じで、いちばんきつかった。感覚的には半分も来ていないのに、こんなにきつくて本当に完走できるのかなと」

 宝剣山荘には、先行していた朽見と紺野がいた。このとき紺野も調子を崩していた。胃腸が食べ物を受け付けなくなっていた紺野は、カップラーメンをふやかしてなんとか胃に押し込もうとしていた。
 紺野に見送られ、渡部は先に宝剣山荘を出発したが、この後、檜尾岳を越えたあたりで、復活した紺野にかわされた。
「紺野さん、宝剣山荘ではすごく体調が悪そうだったのに、すごいなと。あんなにボロボロになっても復活できるんだから、自分もなんとかなるかなと思いました」
 空木岳からの下りの途中、水場で休憩し水を浴びたが、体調は戻らなかった。

 登山口まで下りてくると、パラグライダースクールの仲間たちが待ち受けていた。
「そこにいてくれると思わなかった。すごく嬉しかった」
 嬉しい再会もあった。14年大会中、渡部は単独で北アルプス全山縦走を行なった。そのときに偶然出会って話をした男性が、今回エントリーリストで渡部がTJARに出ているのを知り、応援に駆け付けてくれたのだ。「すごく力になった」と渡部。駒ヶ根の町を通って市野瀬に向かう途中にも、渡部の名前入りの応援ボードを持った応援者がいた。
「自分の知らないところにも自分を応援してくれる人がいるということが嬉しくて、とても勇気付けられました」 

 市野瀬には3日目の15時半に着いた。石田賢生、朽見もいた。渡部はここでしっかり休息をとり、一度心身をリセットするつもりだった。
「お風呂に入ってアラームもつけずに、体が欲するままに寝ようと。3時間くらいは寝ました」

 日付が変わり、南アルプスへ向けて再スタート。市野瀬でしっかり休めたことで、体調は回復していた。

 明るいうちに塩見岳を越えようと思っていた。塩見岳を18時過ぎに通過すると、眠気に見舞われた。
「塩見を抜けて気が緩んだのか、すごく眠くて……。本当は高山裏避難小屋まで行きたかったけど、まずは三伏峠まで頑張ろうと」
 この日のうちに三伏峠へ。3時間ほど仮眠し、再スタート。調子が戻り、翌5日目のうちに南アルプスを下山した。
 畑薙第一ダムに下り、そこからのロードは涼しいうちに距離をかせごうと、仮眠をとらずに走った。このあたりで右足の脛に突っ張るような感覚があったが、気にしないようにしていた。
「ここまで走ってきてどこも痛くないわけはない。どこか痛くて当たり前だろうと、あまり意識しないようにしました」
 それでも、残りはまだ70㎞だ。走れなくなることは避けたいと、歩幅を狭め、ペースを落として進んだ。

 ここまで、行動計画より大幅に速いペースで進んでいた。
「田中正人さんの08年の優勝タイムが5日10時間32分。畑薙を過ぎて、このままのペースで行けばもしかしたら行けるかもしれない、と」

 富士見峠を越え、あとは下りとフラットだ。気持ちを入れ直すも、脛の違和感が強くなっていた。
 そして静岡駅まで3㎞ほどのあたりで、違和感が強烈な痛みへと変わった。
「肉離れみたいな、脛がバリッと割けたかのような痛みが走って。そこから走れなくなりました」

 ゴールの大浜海岸までは、残り8㎞ほど。ここまで来たら、ゆっくり歩いてもゴールできるはずだ。渡部は痛む脚を引きずるようにして、一歩一歩、前進した。
 静岡駅以降、道に迷った。事前にコースのほぼすべては試走、または下見をしていたが、大浜海岸から静岡駅の間だけ、一度も来たことがなかった。
「駅以降は海に向かえばゴールできると思っていた。でも一番は、ゴールは初見にしたかったんです。とにかく海に向かっていけば大丈夫と思っていたけど、用水路とかがあって迂回したり、なかなか着かなくて……。ちゃんとしたルートを行かないと、意外に大回りになるんだと、最後にわかりました(笑)」

 そして冒頭のゴールシーンへとつながる。
「何をどうしたって、2年間、遠回りしたことをよかったとは思わないが、遠回りしたおかげで強くなったと思えるようになりたくて頑張ってきた」
 その努力がかたちとなった瞬間だった。

 5日10時間52分、3位。初出場記録としては、望月が10年に初出場したときの記録(5日5時間22分)に次ぐ。歴代でも6番目となる好記録。だが本人はいたって冷静だ。
「3位という結果でしたけど、ほかに強い人が出ていたらまた変わるだろうし、順位にはそんなに価値を感じない。タイムに関しても、そのときの条件が変われば、結果も変わるので。でも当初の目標を上回る結果が得られたのはとても嬉しいし、地力以上のものを出せたのは応援のおかげなので、とても感謝しています」

 



パラグライダースクールの仲間たちのエールが力になった(写真上=山田、写真下=松田)

 


2位の紺野(右)から祝福を受ける(写真=松田)

 

 

<次の目標は「 X-Alps」出場>

 16年大会について「いろんな失敗もあったけど、自分の力は出し切ったので満足している」と渡部は言う。

「実際に出てみて、やっぱりTJAR、いいなと。また出たいなと思ったんですけど、もう1回出るとしたら、2回目のTJARは自分にとってどんな位置付けになるのか。やるなら、目的や目標を明確にして、ちゃんと準備して納得するレースをしたい。それは14年に抽選で落ちて出られなくて、悔しい苦しい思いをしたことが大きい。中途半端な気持ちで出ることはできない。17年のハイシーズンに入る前に決断して、目標に向かって準備を全部やり切ってからじゃないとダメだと……」

 17年に入り、一度はTJARをめざすつもりでいた。夏山シーズンは、TJARに向けて山に通った。だが、同年10月、栂池で開催されたハイク&フライのレースに出たことで心境が変化した。
「X-Alpsをめざすといっても、それまでは何をどう頑張ればどこに繋がっていくのか、あまりイメージできていなかった。でも、レースで自分の課題が浮き彫りになったのと同時に、(憧れだった)『X-Alps』への道筋が少しだけ見えて、遠回りしていられない、という気持ちになった」

 TJARをもう一度本気でやるためには、パラグライダーの練習時間をかなり削らなければならず、両立は難しい。どちらも中途半端にはしたくない。TJARへの挑戦は見送ることにした。新たな目標に向け、邁進中だ。

 

 渡部にとってのパラグライダーは、山岳スポーツの一つだという。

「山が好きなので、いろんなかたちで山を楽しめたらいいなと思っているんです。冬ならスキーとかスノーシュー。トレイルランも、ファストパッキングのスタイルも好きだし、重い荷物を背負って山でテント泊するのも好き。山にはいろんなかたち、楽しみ方があって、パラグライダーもその一つ。同じ山でも、上から見ると全然違う景色が見える。風を受けながら、風と一体になって飛ぶ感じ。鳥になったみたいな。走るときも、ロードよりもトレイルのほうが自然との一体感があると思うんですけど、パラグライダーは風の影響を受けるので、より一層、自然と自分が一体になっている感覚が楽しい」

 今は「X-Alps」への出場が最大の目標だが、年に数回は海外のトレイルランのレースにも出ている。5月にはインドネシアの「Rinjani100」(距離100㎞、D+9166m)で、日本人最高の2位に入った。今年は、9月のスイスピークス(360㎞)と、10月に栂池高原で行なわれるハイク&フライのレースが大きな目標だ。

 渡部にとっての山、そしてレースは、“旅”のような位置付けだという。
「国内のレースは里山が多いし、プライベートで行けばいいかなという感覚があるんです。旅を兼ねてレースに出ている感じ。なるべく行ったことのないところとか、見たことのない景色を見てみたい。九州縦断を思いついてチャレンジしたときから、その感覚は変わっていないです」

 

 今後のTJARへの挑戦は、現時点では考えていない。
「16年をめざしていたときは、なぜ自分はTJARにこだわるのか、自問自答もたくさんしました。今はちゃんとやりきれたから、TJARへのこだわりはありません。大好きなレースですし、また出たいという気持ちもありますが、それは30人という限られた枠の一つを占めてまでこだわるものではありません。私は出場するまでにとても苦しい思いをしたので、TJARに出るということは私にとってはとても重いことなんです」
 TJARに出て、応援が力になるのだと、強く感じた。今度は自分が応援する側で関わりたいと思っている。

 

 

渡部祥(わたべ・しょう)
1980年福島県生まれ。富山県在住。学生時代はフィールドホッケー部に所属。社会人になってから趣味で登山をするようになった。30歳頃からランニングを始め、数々のウルトラマラソンを完走。ランニング歴8年(トレイルランニング6年)。登山歴13年。

 

<主なレース出場歴>
Rinjani100(2018)
Tor des Geants(2017)
Northburn100(2017)
Transgrancanaria(2016)
Andorra Ultra Trail(2015)
KOUMI100(2015)

 

<選手へのQ&A>

――日頃の山行を含めた好きな山域は?
A: 北アルプスと、立山山麓。パラグライダーとランの練習をするにはこれ以上ない条件です。

――今回のTJARの装備でのこだわり、工夫は?
A: 軽量コンパクト、かつ、機能的であること。不要な部分は徹底的に削りつつ、機能性を上げるようカスタマイズしました。それと、多機能であること。一つのギアに複数の機能を持たせて物を減らしました。また、気象条件を変えてテストして、気象条件に合わせた装備を準備しました。

――山行で必ず持参する補給食は?
A: チョコレートと柿の種、ミックスナッツ。

――レース中、おいしかったものは?
A: 山小屋の食事はどれもとてもおいしかったです。駒ヶ根で食べたパフェもおいしかったです。

――レースが終わったら食べたかったものは?
A: チーズケーキ。甘いものが大好きなので。パラグライダースクールの仲間がゴールに用意してくれてました。


仲間たちが用意した好物のケーキをほおばる(写真=山田)

 

 

<装備とウェア>
【ザック】Answer4/FocusR
【シュラフ】SOL/エスケープヴィヴィ
【露営具】ストックシェルターPro
【マット】山と道/MinimalistPad
【ストック】ヘリテイジ/ULトレイルポール
【ライト】BD/スポット、SILVA/TRAIL RUNNNER2
【ファストエイド】テーピング、ポイズンリムーバー、消毒液、絆創膏、三角巾、安全ピン、プロテクトJ1、胃薬(パンシロン)
【ヘルメット】PETZL/Sirocco
【サバイバルシート】SOL/Heatsheets Emergency Branket
【シューズ】Sportiva/Akasha
【シャツ】finetrack/ドラウトソニック
【ショーツ】Houdini/レイルショーツ
【アンダー】finetrack/パワーメッシュ
【靴下】Itoitex/5本指ショート、drymax、finetrack/スキンメッシュ5本指、YAMAtune(山チューン)/SuiderArch5toe
【アームカバー】finetrack/スキンメッシュ
【レッグカバー】finetrack/ラピッドトレイル
【ベース】finetrack/メリノスピンライト上下
【防寒具】finetrack/ポリゴンネスト2UL
【レインウェア】Rab/Flashpoint Jacket
【レインパンツ】montbell/バーサライトパンツ
【帽子】finetrack/キャップメッシュ
【グローブ】AXESQUIN/ライトシェルサーマルグローブ
【バフ】マヌート
【レインウェア上下】montbell/トレントフライヤー
【ウェア上】The North Face/Enduro Crew
【ウェア下】The North Face/Flyweight Trail Short
【防寒着】finetrack/ポリゴン2UL
【キャップ】montbell/ステンレスメッシュキャップ
【サングラス】SWANS/エアレスリーフ偏光
【その他】バーナー/BRSチタン合金、コッフェル/エバニュー265R

 

TJAR2016 完走者インタビュー(動画)

 

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