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追悼 -- 山のマイベストパートナー西田由香里【前編】

2019.03.30

文=田中ゆうじん


2019年2月10日午前8時ごろ、5人パーティーで中央アルプス仙涯嶺付近をトラバースしている際に、誤って滑落。数時間後に救助ヘリで松本市内の病院に搬送されるも、すでに心肺停止状態。死亡が確認された。
西田由香里、享年44。

 

過日、3月15日発売の『山と溪谷』4月号に追悼文を掲載させていただいた。改めて感謝の意を表したい。ただ、西田の登山やトレイルレースにおける経歴や功績をざっと記してはみたものの、その人物像をはじめ、マルチに山への趣向をひろげていた彼女の躍動と魅力を伝えるには、やはり情報量として少ないと感じていた。

そこで、西田とは2011年以来、私たちの住むここ松本平(西田は安曇野市在住、私は隣の松本市在住)の西にドーンと座する「愛称・裏山」である北アルプス常念山脈、または東にある美ヶ原その他の里山にて、300回超の登山を一緒にしてきた私・田中ゆうじんの、やや主観的偏向のある述懐を元に、その情報量に「増し増し」してみようと思う(笑)。

少しふざけてみたが、これは、生前の彼女の意思にそったものであると信じて疑わない私の役目であると思っているし、シリアスに叙情にふけるというよりは喜劇のタッチとしたい。

ぜひ、構成力ふつつかなショートショートのような感じで読んでいただけたら幸いである。


―1DAYロングこそ真骨頂

「ゆうじんさんは、平日に山いける人ですよね?」
先日、2011年8月開催予定の第1回美ヶ原トレイルランの試走を仲間4人でしたばかりだというのに、早速のメールだった(※私は当レースのコースディレクターをしている)。

誘われた北アルプス1DAY登山の行程は、新穂高を起点に、MTBでわさび平へ。そこから鏡平~双六岳~三俣蓮華岳~鷲羽岳~高天原山荘~雲ノ平~祖父岳~双六小屋~わさび平。最後はMTBで新穂高。CT(一般コースタイム)は30時間超のラウンドトリップだ。これを、いわゆるトレイルラン(私たちはスピード登山や速攻登山などと呼んでいた)で、CTの半分以下で行くのが1DAY登山のスタイルである。

この日のエピソード。ワリモ岳直下の分岐にて、壮大な北アルプスのなかでも秘境と称される、当山行の目的地である高天原から雲ノ平をじっくりと4人で眺める。夏の雲が空の蒼にゆっくりと浮かび、シーズン中などどこ吹く風か、登山者もまばら。疲れた身体は、さながら舟が錨を下ろすように前進することを止めて、期せずしてその美景にしばし釘付けとなる。こういうのが「極上のレスト」だと私は思う。

そのとき、リーダーである山崎氏が言った。
「最奥の高天原はちょっと遠い。水晶岳ピストンに変更もありかな…」。疲れてみえる皆を気遣っての発言だった。

ことさら主張するタイプでもない西田だが、企画の立案をしたこともあって、物憂い顔をしつつも、首を縦には決して振らない。

以前、こんなメールをもらったことがある。
「山ではペースとフィーリングが合うこと、あと同じ意識で行ける人というのがとても大事」

 


三俣山荘から鷲羽岳への縦走路

 

家事と子育てとパートをしつつ、そのある種のストレスをパァーっと放出させてくれる山へ行くには、毎度たくさんのハードルを越えなければならない西田。同じ趣味のご主人との山時間争奪戦、朝食の用意、子供の幼稚園の送迎手配などを完璧にして、ようやく山行きの免罪符がおりるのだ。そんな貴重な時間を妥協するなんてありえない、と、西田が常日頃から思っていても無理はない。

西田にとっての山とはつまり、日常のストレスから解放され、現実逃避できる自分だけの時間。また自らを輝かせてくれる特別な場所であったのだろう。そして、このほぼ半日で完結できる1DAYロングこそ、アイデアと体力と仲間と家族の理解によって達成できる、彼女みたいな多忙な女性にとっての最善でいて濃厚な、まさに一粒で二度も三度もおいしいアーモンドチョコレートのような、超充実のスタイルであった。例えが昭和だ……。

 


祖父岳付近にて。左からゆうじん、山崎、西田、茂

 

なにせ趣向や目的の違いはあるにせよ、通常2泊3日はかかる山旅を、ときに半日に凝縮する達成感と痛快さは格別だ。

天候、時間的ハードルの高いルート、体力、ペースなど複数の条件下で、狙いどおりの1DAYロングがバッチリとはまって会心の登山となったときなど、お互い身体はボロボロだが、「今夜は最高のBEER飲めるぜ」なんてよく言ってたものだ。

とはいえ西田は、もっと時間があれば、ビバークをしつつ、さらなるロングルートや遠征に行きたいなぁと、地図を見ながら妄想していたことを付け加えておこう。とまれ、単調さを嫌い、奇をてらうタイプの私に対して、彼女は地道に着実に距離や経験を増やしていくタイプであった。

「山崎さんは私の気持ちがわかってくれてる!」(※後日書いてあった記録より)

こうして、充実の雲ノ平1DAYロングをコンプリートした後、怒涛の1DAYロング祭りが幕を開けた。いや正確には、大休止した双六小屋からの下山道から、その少しだけ気高い太鼓の音色が開幕の狼煙よろしく鳴り響いていた。2011年8月のことだった。

 

 
祖父岳山頂にて。左から山崎、西田

 

「今月はロングで山にも行けたしまずまず」と、その8月、第1回美ヶ原トレイルラン&ウォークinながわで、2位の表彰台に上った西田だった。

 

月が替わって2011年9月から2012年の主な1DAYはこんな感じだ。
蓮華温泉~栂海新道~親不知(日本海)1DAY。
中央線倉本駅~空木岳~飯田線駒ヶ根駅1DAY。
三股を起点に、大滝山~中村新道~徳本峠~明神~徳沢~長塀尾根~蝶ヶ岳~三股1DAY。
三股~常念岳~大天井岳~槍ヶ岳~槍沢~蝶ヶ岳~三股1DAY(ヤリイチシリーズ)。
新穂高~白出のコル~奥穂高~ジャンダルム~西穂高~旧歩荷道~新穂高1DAY。
七倉~船窪小屋~針ノ木谷~奥黒部ヒュッテ~赤牛岳~水晶岳~野口五郎岳~烏帽子小屋~ブナ立尾根~高瀬ダム~七倉1DAY。
七倉~ブナ立尾根~野口五郎岳~真砂岳~晴嵐荘~七倉1DAY、ほか。

 

毎度変化を好むルートメイクは、7割を西田が考案していた。彼女はネットで情報収集することが好きで、前例のあるものを自分流にアレンジすることに長けていた。一方、私は、プチエクストリームを志向していて、閃いたアイデアに前例があるかどうか調べる程度。共通して言えるのは、2人ともに暇さえあればマップを眺めていたのは間違いない。そんな状況がつづくなか、いつしか1DAYスピード登山のメンバーは西田と私の2人だけになっていた。

 

錦秋の栂海新道1DAYの道中だっただろうか、こんな会話をしたことがあった。
「紅葉って、人生でいうとどの時季だろう?」と私。
「うーん、これから(40代以降)って気もするけど、人によっても違うのかね?」と西田。
栂海新道は基本尾根通しに登山道がとおっているので、この場合は下り基調であれど登り返しも多いルートだ。どっちが先にタレるかの真剣勝負が続いた。波に洗われた玉石がコロコロと耳に心地よい親不知海岸がゴールだった。ただし、その後、電車に乗り遅れまいとやはり駅までさらに走るはしるハシル。


親不知海岸

 

さて、地元にある三股登山口は、私たちにとって24時間オープンしている北アルプスへの玄関口である。自宅からクルマで30分で行けるここは、アプローチ頻度の高い中房、扇沢、七倉と比較しても、最もヘビーユースの登山口だ。登山口まで走っていこうが、クルマで行こうが、西田の都合に合わせてアレンジしたルートが、いつしか多彩な色と弧を描いて1/50,000のマップにその軌跡を残しつつ上書きされていく。もちろん、毎度下山する際は「もう山は当分いい」との達成感を感じながら。

また、私が2009年に思いつきで始めた(雑誌社へ寄稿用の企画)、<家常念>(いえじょうねん。家から常念岳を自分の脚で往復75㎞する登山)などの「家シリーズ」や、家から走っていった先で乾杯をし、電車で帰宅する「電車シリーズ」などへは、とにかく意欲的な西田であった。

彼女の感心すべき点は、それを自分流にアレンジして実行するところだ。いつしか「裏山」への玄関口は、文字どおり自宅の玄関へと変貌をとげていたし、多忙ゆえに超合理的アイデアであった。まさに絵に描いたような山ライフ。SNSに映える憧れの対象「山岳アスリート西田由香里」たる由縁は、そんなフィールド的アドバンテージやアイデアにも裏付けられていたのだろうか。

友人であるMr.スカイランニングの松本大が、それをやるために生まれてきたように、西田由香里もまた、愛する家族や背負うものはあれど、山で躍動するべく生まれてきたような気がしてならない。

 


中央本線での帰路

 

ここでエピソードを一つ。2015年4月、林道ゲートが開く前に、いち早く雪面にトレースを残してみようと、私はソロで、自転車×トレイルシューズ×SKIというスタイルで「チャリ常念」をやった。行程は、林道ゲート~一の沢ルート~常念小屋~常念岳の往復。前週に慣れない自転車での試走は終えていた。思い出深い会心の登山となったのだが、下山後の夕刻、SNSを見た西田から早速、しかもやや興奮気味な電話があった。
「なにそれ~?! このタイミングで超イイじゃんね(松本弁が入っている)」
雪の状況、ルート、自転車時のスキー脱着方法、タイム、リスクといったことまで、事細かに取り調べを受ける(笑)。

翌日、家からMTBを漕ぐという、私のやった距離を凌ぐ登山をした西田から、こんなメールがあった。「最後は左岸のが正解だったみたい! 渡渉するの大変だった。自分で見極めることが必要ね」。
きっちりとレビューしてくるところが、彼女らしい。


西沢からの鹿島槍

 

西田とは、里山での朝練ふくめて300回超の登山をしたパートナーではあったが、お互いソロでやることも多かった。そんななか、こちらの登山アイデアやルートまたは記録に対し、西田から称賛ないしは興味をもたれることは、じつは私にとっての大きなモチベーションであった。

また、登山を重ねるたびに定量的な不文律も自然とできてくるものだ。

三股P~常念岳一本勝負は2時間切り。三股P~蝶ヶ岳~常念岳~三股Pは5時間切り。中房登山口~燕岳山頂は1時間35分切り。最も多く入る里山、長峰山‐光城山ラウンドは50分前後(※あくまで参考タイムなので安易に真似しないでください)。

「水飲めよ、家事しっかりな、遅刻すんなよ、下りは気をつけてな」が、合言葉みたいなものだった。

家から常念岳や蝶ヶ岳を周回するという定番ルート(それぞれの家からなので距離は違う)や、朝飯まえに帰ってくる、「朝常念」「朝蝶ヶ岳」「朝爺ヶ岳」は鉄板になった。平日の通勤ラッシュ時、またはランチタイムを狙い、とくに都会で仕事する方々へ向け、SNSで山の写真とともに「Hello all from Northern alps ! 」をやることは、一種の快感でもあった(笑)。山の写真で癒されてね、と。


蝶ヶ岳での朝練

 

一方、冬の1DAYについても記述しておきたい。ここ信州松本の冬は、例年12月から3月いっぱいは、登山道は雪に覆われていることが多く、走る筋力よりも、スキーで登って滑る筋力が発達するシーズンだ。かくして、スキーをする者は白馬や小谷へクルマを飛ばし、極上のパウダーや春のザラメの上で、夏同様に引力に抗い高みをめざし、しばしスピードに熱狂する。ちなみに例年4月は、シューズでうまく山を下れないもどかしさから始まる、ここ信州事情である。

あるとき、「厳冬期も裏山(常念山脈)でいろいろできるはず。常念岳1DAYをやろうと思う」との私の提案に、慎重派の西田は意外にもすぐ乗ってくれた。その上、その後の情報収集には目を見張るものがあった。南東尾根か東尾根のアプローチで森林限界に取り付き、アイゼン&ピッケルで山頂を往復する案だ。
「ここの等高線の緩い疎林を狙っていけば最短でいけるんじゃない?」。そんな具合のやり取りをする。


ルート計画中

 

幕営(テント泊)の山行記録は確認できたが、1DAYはさすがに見当たらなかった。これは体力だけではリスクが高いので、もう一人、冬山エキスパートである野田さんをメンバーに加え、このプロジェクトはスタートした。私たちの発想と体力に、野田さんの経験と技術を加えた。


私の本番用の道具

 

2012年2月から両尾根の下見を5、6度した後、2013年2月14日、天候的にも辛うじて行けると踏んだ平日未明3時、三股登山口のはるか手前にある林道ゲート前に3人は集合した。野田さんと西田は冬山装備にスノーシューをチョイスするという実用的スタイル。一方わたしは、不適合といわれても、里山はじめあらゆる山をスキーで登っていたので、やはり一捻りするべく、スノーシューではなく敢えてスキーをチョイスした。

山のWEB-TV(Mt-channel:やまちゃん、後述する)用に適時動画を回しながら、私たちは念願の厳冬期1DAY常念がようやくできる高揚感と不安感をいだきつつ、深雪をラッセルしてどんどん高度を上げていく。
 


前常念岳直下のトラバース

 

12時、常念岳山頂。予定どおりだった。自ら忘れ物が大得意と公言する西田は、サングラスを忘れ、代わりに車にあった大きなサングラスで臨んでいた。
「山頂になんでセレブがいるんだ?!(笑)」。3人とも満面の笑みでスチル写真に収まる。ただし、天気は予報どおり下り坂。小さなつむじ風が稜線の白雪を叩く。山頂から見える自分たちの街に、無事帰りたい。下山時も、前常念という岩稜下のトラバースなど気が抜けない箇所は多く、また尾根は急なため決して難易度は低くない。復路でも、幸い氷化はしていなかったのでアンザイレンはしなかったが、雪渓で滑落経験のある西田は苦手意識があるらしく、とくに慎重にアイゼンワークをこなした。


常念岳山頂。左から、ゆうじん、野田、西田

 

話のついでに、西田の苦手な雪渓や岩場下りについて触れてみたい。

以前より、針ノ木、蝶ヶ岳などの雪渓では、特に下りで腰が引けることもあり、スピードが鈍化するのが常となっていた。おそらく滑落経験からのもので、グリセード(靴を滑らせて降りる技術)やキックステップで巧みに下山する姿は見たことがない。岩場下りも同様だった。


鹿島槍からの帰り。赤岩尾根をスキーブーツで下る

 

西田は、「慢心して大事に至るより良い」と、山岳会のメンバーには言ってもらっているからと、特段引け目にも感じてない様子だった。もちろん私もそこは許容していたし、かといって、BCスキーではそんなイメージを大いに覆す一面もあった。

大斜面でのターンもそこそこに、例えば北アルプス大滝山の前衛である鍋冠山からの滑降など、それは見事だった。難しい樹林帯やシングルに近いスロープ、または悪雪であっても、スピーディに休むことなく、それでいて転倒することなく滑降していた。ついていくのが大変だった記憶がある。

また、雨飾山をスキーでめざす道中、氷化したスティープな斜面をトラバースしなければならないリスキーな場面でも、着実にエッジを氷に食い込ませつつ私たちについてきていた。

おなじ雪上であっても、型通りではないスキーのセンスには、特に定評があったと思うのだ。なんというか「実践的な山慣れ」をしていたように思う。


三股登山口までスキーブーツでハイク

 

話はだいぶ逸れたが、厳冬期1DAY常念岳の下りでは、森林限界以下のスピード(スキーは逆に適さない)に差があったので、長女の幼稚園のお迎えがある西田には、ルート確認のうえでいち早くスノーシューで下山をさせた。

放心状態で下山した後、野田さんと私のクルマには、「セレブ風」なチョコレートの包みがかけられていたっけ。


甲斐駒ヶ岳山頂


―トレイルレースの舞台

さて、西田由香里といえば、北アルプスを中心に躍動する山岳アスリートというイメージの他に、長距離トレイルレースやSKIMOレース(山岳スキー競技)で、表彰台に立っている姿を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
折りに触れて西田は言っていた。
「レースは自分の今いる位置がわかるから」と。

トレイルレースに参戦するまでは、MTBのレースでも、とくに市民カテゴリーの部では表彰台に上っていたようだが、「このレースはMTBの性能も勝負に影響する」との思いがあったようだ。そこへいくと、自分の身体ひとつが重要なファクターとなるトレイルレースの世界は、彼女好みのフィールドであったのだろう。


美ヶ原トレイルを手伝う

 

2008年6月に初めて参戦した志賀野反トレイルレースでは、15㎞というショートディスタンスではあったが、荒天のなか女子3位の結果を残した。もしかしたら、「私に向いてるのかも」と目を輝かせていたに違いない。しかも、普段の登山同様に、家事と育児をしながらレースに出られる環境をサポートしてくれるご主人や実母の存在と、レース結果より心配な幼い長女のご機嫌まで、これまた毎度調整は難航すれど、すべてがなんとか回り出したようであった。
「やったぁ、育児しながらでも自分のこともできるんだ!」と。

きっとそれは、いわゆる利己的なものとは一線を画し、努力とアイデアのうえに成り立つ、彼女流の家族と自分への愛情だったのだろうと思う。とくに第一子の子育ての悩みは私もたびたび聞いていたが、山でそれを発散して自分をご機嫌にする必要があった。ストレス発散の仕方は違えど、子育てする主婦の共通の悩みなのだろうと思う。

「うちの奥さんと娘もいろいろあるよ(笑)。男の子が生まれたらまた違うものかもね」なんて、二児の父である私とは、そんなたわいもない会話も山でよくしていたものだった。

 

再び話が脱線した。レースは山における自らの試金石であり、また座標軸でもあるという西田由香里。私たちと1DAYロングをやり始めた2011年と同期して、着実にレースでの結果を残し始めた。主な戦績は以下だ。
・2011年 美ヶ原トレイルラン(35㎞)2位 / ハセツネCUP6位
・2012年 新城トレイル(32㎞)3位 / ウルトラトレイル・マウントフジ(167㎞)4位 / 美ヶ原トレイルラン(70㎞)優勝 / ハセツネCUP 3位
・2013年 北丹沢12時間山岳耐久レース(42㎞)2位 / スイスアイアントレイル(201㎞)2位
・2014年 ウルトラトレイル・マウントフジ(168㎞)7位(日本人1位) / 大雪山ウルトラトレイル(110㎞)優勝 / トランスジャパンアルプスレース(415㎞)完走
・2015年 新城トレイル(32㎞)優勝

 
新城トレイル2015優勝

 

また、2014年からSKIMOレースへも積極的にチャレンジする。
山岳スキー競技日本選手権、白馬八方スーパーバーティカルレース、パラダSKIMOナイトレース、そして2019年2月に優勝した赤倉温泉スキー場山岳レースなど、選手層がまだまだ薄いのもあるが、着実にポディウム(表彰台)は指定席となっていた。

 

一方、山はそこそこにして、距離を踏むことも大事とばかり、2012年の初100マイルのUTMFに出場前、私と松本から旧善光寺街道を辿って、長野市にある善光寺まで70㎞強を走ったことなど、とくに思い出深い。もちろんこういったトリップ系の愉しみは、旅先でおいしい食事とBEERを気兼ねなくできること。さらに彼女にとっては大好きなスイーツをご褒美に食べられることだろうか。一日の余韻にひたりながら列車に揺られて帰宅するという、これまた妙味のある1DAYであった。


涸沢の紅葉中に一杯

 

このように西田は、レース前の準備には余念のないほうだった。レースの山域がそう遠くなければ、必ず分割してでも試走はしていたし、また試走そのものをとても楽しんでいた様子。

さらに、山における道具やウェア類の備忘録もきっちりと付けているタイプだ。ドレッシングボトルにエナジージェル系を入れたり、ハンドライト用に手首のサポーターを改良したりと、主婦の目線を活かしたアイデアの人でもあった。
「固形物はどうしても欲しいし、すあまやブラックサンダーチョコは好き」なんてよく言ってたものだ。

余談だが、サポートメーカーへのフィードバックへはとても真摯に対応していたらしく、選手目線での実用的・実戦的なリポートには定評があったと聞く。

 

レースの話題でとくに印象深いといえば、やはり2013年のスイス・アイアントレイル201Kと、2014年に出場したUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)、そしてTJAR(トランスジャパンアルプスレース)だろう。2014年は、一歩一歩着実にやってきた彼女の努力と躍動が、一躍脚光を浴びた年でもあった。


UTMFは、私も第1回の2012年から、自転車を利用しつつ、天子山塊を中心に試走につき合っていた。また、「チーム西田由香里」を組んでサポートにも当たっていた(※後述するが、西田のレースでの活躍は私のプロジェクトにとって最も大事なファクターでもあったので、紳士協定が結ばれていた)。

当レースでは、肋骨を折りながらも日本人女子1位と大健闘したのだが、海外からの強豪が多数参戦したレースでもあり、結果は7位と入賞に一歩及ばなかった。表彰式を見上げる西田には、やり切った感とともに、一抹の寂寥感みたいなものを感じたものだ。


2014UTMF

 

当レースで8位だった丹羽薫さんとはこのレース後に親交が芽生えた。そした丹羽さんは2015年のUTMFでなんと4位と大健闘する(西田はDNF)。戦友であり盟友であった丹羽薫さんの海外進出の際にも、北アルプスでのトレーニングメニュー考案や宿泊や食事のケア、またはクラウドファンディングで応援するなど、傍からみても美しいライバル関係だったように思う。


丹羽さん(左)と常念岳山頂

丹羽さんと燕岳で

 

そしてあの、台風直撃のなか北アルプスを進むという、センセーショナルなTJAR2014。彼女を語るうえで、このレースに触れないわけにはいかないだろう。

選ばれし者だけが参加できるこのレースは、前回2012年にテレビ放送されたこともあってか、はたまた時流もあるのか、エントリーも前回比で多かったようだ。ゆえに必須条件をクリアした選手でさえ、最後には抽選で参加枠の可否が決められることに。あげく最後に呼ばれた名前が「西田由香里」だった。

 

いくらロングディスタンスが得意とはいえ、1週間かけて山で野営しながら進むこのトンデモ系のレース。カモシカ山行などもそのルーツの一つとしている特殊なスタイルに、果たして準備ふくめてトータル(家事も子育ても鑑みて)大丈夫なのか?と、すっかりマネージャー的存在でもあった私は、当初ネガティヴにとらえていた。

仮に私が、「あれは男が立ちションや虫にくわれながらやるレースだよ」なんて言おうものなら、「あ~、男女差別ですか」と返されるだろう。過去から学んでいた私は、そんなこと言ったら1カ月の音信不通になることは火を見るより明らかだったので、決して口にできない(笑)。余談だが、わりとなんでもズケズケとものを言ってしまう私とは対照的に、西田は言葉をとても選ぶ人だった。

ただ、四季を通して彼女と登山をしてきた私からすると、彼女ならおそらくやるんじゃないかと確信もしていた。

僭越ながら、私が山のマイベストパートナーと言うからには、それくらい山における西田のさまざまなシーンを肌感覚で経験してきたし、また絶大なる信頼があった。

ついでながら言うと、西田を泣かしたこともあれば、大泣きしてる場面にも何度か立ち会ってきた。人間として当然だが、山での精強な彼女からはうかがい知れない弱さもまた、内包した人だったように思う。


TJAR完走時

 

南アルプスから下山後、井川キャンプ場を後にした西田を私は再び捉えた。
「身体が痛くて走れないんだよ」と、ごく稀にみるメソメソと泣いている弱気の彼女がそこにいた。
どんな言葉をかけたかは覚えていない。

 

2014年8月某日、西田由香里は静岡県大浜海岸の砂浜で、大勢の練り歩く温かいギャラリーと一緒に、ファイナルロードを噛みしめるように一歩一歩踏みしめた。駆けつけてくれたトレイルランナーの大石由美子さんや、ご主人と娘さんたちと一緒に出迎えた。
「足をまた濡らすの嫌だから、恒例の海には入りたくない」。いかにも彼女らしいセリフだった。


 
告別式展示品

告別式展示品


後編に続く。


※スイスアイアントレイルレースについては、とんでもエピソードとともに、後に譲りたい。また、ここで紹介する登山は周到な準備とトレーニングのもとにやっているので、安易には真似しないでください。

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