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「自由になりたかった」〜ハセツネ女子最速記録保持者・櫻井教美の素顔<前編>

2019.08.22

10年も破られていない最速記録がある。その現記録保持者の単独インタビューをもとに『マウンテンスポーツマガジン トレイルラン 2019夏号』(山と溪谷社・2019.7.19発売)で掲載した内容を加筆修正した完全版の<前編>です。

取材・文=山田 洋
写真=佐藤正巳、一瀬立子


2008年のハセツネCUPで女子最速記録を樹立

 

それは、アリバイ作りから始まった
1993年に始まった日本を代表する71.5㎞のクラシックトレイルレース「ハセツネ」。当時はもちろん「トレイル」という言葉はなく、正式名称「日本山岳耐久レース〜長谷川恒男CUP」と呼ばれる大会がある。
櫻井教美さんは、そのハセツネにおいて、今も燦然と輝く女子最速8時間54分7秒の記録保持者。女性で初めて9時間の壁を破ったのは第16回大会(2008年)にまで遡る。

高速化が著しい直近10年間でさえ、誰も破ることができない不滅の記録を叩き出した櫻井教美さんは、5度目の優勝を飾ったこの2008年以降、すべての表舞台から姿を消す。

編集部から「次号で『ハセツネ大全』を作りたい」とその協力依頼を受けたとき、真っ先に「櫻井さんにインタビューしたい」と提案したことを覚えている。女子最速記録を樹立して10年、彼女の記事は全く見ない。今、どこで、何をしているのか?  伝説と化したひとりの女性に会って話を聞きたかったからだ。
「ダメ元でいいから、探ってくれませんか?」と付け加えて。

表舞台から姿を消したのにはワケがあり、これほどまでメディアに登場してこないのは相当の理由があるのだろう。きっと無理だ、と決めてかかっていた。記事の最後に「編集部はコンタクトを取ったが叶わなかった」というアリバイの一文を載せるだけのために。

 

手芸、ワンゲル、ボランティア、放浪
過日、編集部から興奮気味に連絡が届いた。「櫻井さんへのインタビュー、出来そうです! ただ、取材時間は1時間あるかないかかもしれませんが・・・」とのことだった。

待ち合わせのカフェに早めに着いた私は、限られた時間の中で要点を絞り、核心を突きたいはやる気持ちを抑えられずにいた。一方で、10年ものブランクある女性に、ずけずけと土足で踏み込んでは心を閉ざされてしまう。思案した結果、アイスブレイクばりに少女時代の話からインタビューはスタートした。

「手芸好きなおとなしい子でした。自宅にあった魔法瓶に花の絵が描かれているのを見るとイメージが湧いてきて、一心不乱に刺繍したりして。担任の先生にクラスみんなで刺繍をして手渡すことがあったんですけど、私だけ完成度が違っていました(笑)。きっと母親にやってもらったんだと周りは思っていたでしょうね」と櫻井さんは少女時代を振り返った。

決してクラスで目立つタイプでもなかった彼女だが、真面目でしっかり者の性格から学級委員を任される。苦手な科目は数学と音楽。結婚するまで好きだった趣味は料理だった。手芸もそうだが、モノを作る作業が好きだったらしい。運動はさほど好きじゃなかった。中学時代は陸上部に、高校時代はバスケ部に入るも目立った成績は残していない。

小さい頃の夢は「自由になりたかった」という櫻井さん。現役で早稲田大学法学部に合格し、ワンダーフォーゲル部に入部する。

「ツアー旅行が当たり前の時代の中、自分で計画を立て、自分の力で行動できるワンゲル部に入れば、自由になれると思ったんです。山に興味があったわけじゃなく、山もいいかもなぁくらいの軽い気持ちで。でも、体育会系でもあったから上下関係とかそんなに自由じゃなかったですね(笑)」

ハセツネに繋がる山との出会いだったが、学生時代にハマったわけではない。実は、大学卒業後、”放浪”を始める。

「学生時代からボランティア活動に興味があったので、引きこもりの子を支援する寮のようなところで住み込みしていました。富山から始まって、群馬の赤城高原の麓の施設とか渡り歩くように3年間過ごしていました」

 

■『櫻井伝説』のはじまり
放浪から帰還してきたのは26歳。ワンゲル時代の先輩に誘われ、10㎞だけ練習して初めてフルマラソンを走る。「確か、『勝田全国マラソン』だったかなぁ」と記憶は定かではないが、初フルを4時間20分で走りきった。しかし、ここでも走ることにハマったわけではなかった。

「そのあとに、ワンゲルの後輩から『富士登山競走』に出ない? と誘われ、練習のひとつとして出てみたんです。頂上まで完走できたんですが、タイムアウトでした。でも、仲間の中で頂上まで走れた人は私だけだったから、少しは才能あるのかなって思いましたね(笑)」

その後、国体の山岳競技に”山も強そうな女性"という理由で誘われる。半ば強引な先輩に毎週のように山に連れて行かれ、結果、国体に3度挑戦するが、30歳の時に転機が訪れる。100㎞のウルトラマラソンとハセツネとの出会いだ。

「何度かフルを走ると後半に強い自分の特性に気がついたんです。するとワンゲル部の監督からウルトラでも出てみるか? と『サロマ湖100㎞ウルトラマラソン』に誘われました。最初はエントリー費と旅費の高さにビックリして参加を見送ったんですけど、その年(2000年)に安部友恵さんが世界記録(6時間33分11秒)を樹立して、自分ならどこまで出来るのかと興味が湧いて翌年に出ました」

すると、初ウルトラマラソンを8時間00分41秒で優勝する。そして、同年10月にハセツネに初参戦し、10時間42分29秒で準優勝することに。ここから『櫻井伝説』が始まる。

 

明日できることは今日するな

櫻井さんのすごさはハセツネの最速記録だけではない。100㎞のウルトラマラソンも同時平行でこなし、共に結果を残していく。抜粋した別表の記録を見てもらうと一目瞭然だが、すさまじいの一言に尽きる。
ハセツネに限って言うと、歴代最速タイム上位5つのうち、櫻井の名は3つもあり、ロードとトレイルを高次元で結果を出した一級の日本人アスリートは、彼女以外に見当たらない。

「このふたつの両立は年々難しくなっていきました。車に例えると、ボディは自分の体で、タイヤが脚。ロードとトレイルはタイヤが違うんです。やらなきゃいけないことが山積みで、『明日できることは今日するな』というのがモットーでしたね。それだけ毎日が追われるような生活でした」

記録更新を重ねると、”タイヤの違い”に苦しむようになる。「適応するのに1年も擁するくらい別物」と言う櫻井さんは、07年はロードのウルトラに専念するためトレイルをお休みにしたほどだ。

 


自身が持つコースレコードを更新した08年の表彰式

 

櫻井流ハセツネ攻略法と苦しみ
しかし、どうやってハセツネのタイムを縮めていったのだろうか?  初優勝した第10回大会からの短縮時間を計算してみると、おおよそ10分程度ずつ毎回縮めていた。

「ゴールした時、ふたつのことが頭に浮かぶんです。ひとつはイメージ通りに走れたこと。それと同時に、もっとこうしたら、ああしたらと、タイムを縮められるイメージが浮かぶんです。浮かんだら実現できるように練習していく。それを毎年のように繰り返していました」

 10分を縮める策は、補給の内容、タイミング、そして、装備の工夫だった。全長71.5k㎞の中で第2関門となる月夜見第2駐車場(約42㎞地点)だけが、大会側が用意する唯一のエイドとなる。しかも、水分のみ。

「トレイルはロードのウルトラと違って面倒臭いんですよね(笑)。装備やら準備しなくてはいけないことがたくさんあって。一箇所しかない補給ポイント以外は自分で対応するのがハセツネですから、前年の反省を活かして工夫を重ねていました。しかも、毎年天候が違うわけですから、同じ環境じゃないわけです。コースですか?  コースの攻略はないかもなぁ。ハセツネには6回出場していますけど、はっきり言ってコースは全く覚えていなかったです(笑)」

試走も含めて何度もコースを走ると、山の傾斜や岩場の位置まで覚えてしまうランナーは多い。コース攻略がタイム短縮の鍵だと普通は思うのだが、櫻井さんの「コースは全く覚えていなかった」発言は衝撃を与える。ただ一方で、この10分を1年かけて縮めることは心身ともに多くの痛みを伴ったことだろう。

「本当に苦しかったです。でも、やるしかなかった。それと同時に、早く辞めたかった。苦しい時代でした」

魔法瓶に花のイメージを一心不乱に刺繍した少女時代のような、自分に正直な性格と、「浮かんでしまったイメージから逃げたくない」という自分への厳しさが、さらに自分を追い込んでいた。

「レースが始まったらやるしかない。体調や天候など、毎回違う様々なコンディションのなか、イメージした理想の走りの世界に入り込む瞬間を待ちながら走るというか。その瞬間ですか?  真っ白になる感覚ですかね。もうね、真っ白になったもの勝ちですよ(笑)」

想定したイメージの世界に没入しフィニッシュすると目標タイムになっていた。イメージ通りに走れたことと同時に、次のイメージがすぐに浮上してくる。その連続は苦しみ以外なかった。

 


持てる力をすべて出し切り、激しく息を切らして飛び込んだフィニッシュ直後をカメラが囲む

 

 

櫻井教美(さくらい のりみ)
1971年4月20生まれ。埼玉県新座市出身。165cm、A型、既婚。2008年に樹立した8時間54分7秒の記録は女性で初めて9時間の壁を破った記録であり、今もなお、歴代女子最速タイムとして君臨している。

 

 

 

 

 

「自由になりたかった」〜女子最速記録保持者・櫻井教美の素顔<後編>  へつづく

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