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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.21 2014年の勇者たち (16)石田賢生

2016.03.18

<「勢いでめざした」TJAR>

 09年夏、石田は阪田と、当時の選考会Aのコース(駒ヶ根高原・菅の台バス停をスタート、駒ヶ岳、宝剣[ほうけん岳、檜尾[ひのきお岳から木曽殿[きそどの山荘を経由して空木[うつぎ岳のピークを踏み、菅の台バス停に下る、距離42.1km。目標タイム13時間13分 ※コースタイム22時間10分)をやってみようと、中央アルプスに向かった。
 バイク旅をしていた経験から、地図を読むのは抵抗がなかったが、山の地図はほとんど見たことがなかった。
 「トレランレースのマップは見ていたけど、『山と高原地図』を買って山に行ったのは初めてでした。ほとんど勘で(笑)。天気も荒れていて……。結局、道に迷いました」
 コースをロストしながらも、なんとか稜線に戻り宝剣岳に登った。悪天候のなか、これも練習だと前向きに捉え、前進し、熊沢岳の山頂で日没を迎えた。
 そこで石田は大きなミスに気づく。
 「そろそろライトをつけようか、とザックを降ろしたら、ライトが入っていなかった。車に忘れてきて……」
 愕然としたが、日はもう沈んでしまっている。そこからはライトを持っていた阪田の後ろにつき、携帯電話の光で足元を照らしながらなんとか進んだ。
 「絶対にやっちゃいけないパターン(苦笑)。雷もすごかった。天候も荒れていて時間もかかって、戻ったのは朝だったと思います。もうボコボコにされた感じでした」
 初アルプスで厳しい洗礼を受けたことで、「しっかり考えないとまずい」と、気を引き締めた。一方で、これはおもしろい、というワクワクした気持ちも大きかった。
 「もちろん天気が良いほうがいいけど、そのときはもう、天気のことは考えていなかったですね。こんなところでレースをやるんだ、と。山に行くということ自体がおもしろかった」
 翌週には南アルプスへ。翌年、TJARイヤーの10年にも、何度もアルプスに足を運んだ。「選考会対策」として、駒ヶ根高原から市野瀬までロードを走り、地蔵尾根から仙丈ヶ岳へ登り、両俣小屋でビバークしてからもう一度仙丈ヶ岳へ登り返し、下山して仙流荘までのコースの試走も行なった。
 「当時、地蔵尾根あたりはまだあまり人が入っていなくて道も荒れていた。地形図を見ながら、『わかんないな~』とか言いながら通いました」
 そうして臨んだ選考会は、阪田が筆記試験で落選。10年大会には石田だけが出場することになった。

 

<初挑戦のTJAR、「高地肺水腫」に……>

 初めてのTJARとなった10年大会は、序盤から調子が上がらず、北アルプスの終盤には、息切れや頭痛、咳の症状に見舞われた。
 応援のため上高地に来ていた阪田は、石田の顔がパンパンにむくんでいることに驚いたという。「ガチャピンのような顔になっていて(笑)。上高地なんてまだ前半なのに、大丈夫かなと思いましたね」(阪田)
 むくみ、頭痛、咳に加え、悪寒もあった。
 「風邪なのかなと。上高地で寒くて寝て、麓に下りて一度は回復したけど、中央アルプスでまた体調が悪くなって。痰が出るようになって、痰に血が混じっていた。中央アルプスを下りる頃には痰が真っ赤になっていて……。なんでそうなるのかわからなくて怖かったです。咳のし過ぎなのかなと思ったり……」
 それでも、再び下山しロード(舗装路)を進んでいるうちに体調は回復した。市野瀬まで進み、南アルプス・仙丈ヶ岳まで登ると、そこで動けなくなった。
 「ほんの数歩、歩いただけで、全力で走ったように苦しくて。ちょうど台風が接近していて暴風雨だった。仙丈小屋から先、しばらくリタイアポイントがないので、やめるならここだなと。でも決心がなかなかつかなくて……。小屋の主人からも『やめたほうがいい』と説得されました」
 石田はリタイアを決め、大会本部に連絡をした。初挑戦のTJARは仙丈小屋でリタイアとなった。

 話には続きがある。下山後、北沢峠からバスで仙流荘に向かった。
 「バスの乗客が僕だけだったんです。運転手の人に話しかけられて『レースで体調が悪くてリタイアした』と話したら、『病院に連絡してあげるよ』と。仙流荘に着いたら、(バス会社の)事務所の人が『病院まで送ってあげるよ』と……」
 軽トラに乗せてもらい、近くの病院へ。医師の診察の前に、看護師が血中酸素濃度を測定すると、「急に周囲がざわめき始めた」(石田)。
 ベッドが用意され促されるままに横になると、手際よく酸素マスクを装着され「大きい病院に搬送しますね」と告げられた。石田は、救急車で伊那中央病院に搬送された。
 「自分では全然気づかなかったけど、『高地肺水腫』になっていた。血中酸素濃度も低かったらしくて。酸素マスクをつけたまま、3日間入院しました」
 高地肺水腫とは、重篤な高山病の一種で、生命に危険が及ぶ可能性もあるという。痰に血が混じるのは、高地肺水腫の特徴的な症状だった。
 だが、石田本人には、そこまで重篤な症状に陥っているという自覚はなかった。
 「山の上では苦しかったけど、標高が下がるとラクになって、山小屋からの道も走って下っていたくらい。病院も、バスの運転手さんに言われて『じゃあ』という感じだった。自分でもびっくりしました」
 この後、上高地から静岡に向かっていた阪田も、石田からの連絡を受け、病院に駆けつけた。
 「面会の時間を過ぎていて中に入れてもらえなくて。30分くらい、病院の入口で交渉しました(笑)。病室に行ったら石田さんがレースウェアのままベッドに寝ていて。コンビニで下着とか買って届けました」(阪田)

 石田は、救急車の中で医師からこう言われていた。
 「高山病になりやすい体質かもしれないね。もうこの競技、やめたほうがいいよ」
 だが、当の石田はやめることはまったく考えなかった。それどころか「入院中も、次のレース(12年大会)のことを考えていました」。


写真は12年大会、南アルプス・塩見岳を下る石田(写真=藤巻翔)

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