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連載「TJAR2014 30人の勇者たち」Vol.21 2014年の勇者たち (16)石田賢生

2016.03.18

<“3度目の正直”>

 14年大会は、台風の影響で序盤のコースが変更され、ロードの距離が延びた。
 「もう最初から『うわっ』と思いましたね。ロードはあまり好きじゃないので」
 序盤から望月が単独首位に立ち、石田は阪田、紺野裕一と第2グループで進んでいた。立山駅から室堂へとつなぐ木道、「だらだらとした登り」も苦痛だった。一ノ越から先は、暴風雨の中を進んだ。



14年大会、雨風の稜線を進む石田(写真=佐藤籤岳)

 

 「稜線上は、雨がエアガンのようにバチバチ当たって痛かった。それでもまだ、体験したことがあるレベルの暴風雨でした」
 薬師岳山頂に到着し、一息つくも、「本当の暴風雨」(石田)はそこからだった。
 「こんな風があるか、というくらいの……。一方向から、風が常にマックスで来る。強くなったり弱くなったりではなく、『ボーン』と爆風の中を進むので、体が飛ばされるんです。風で飛ばされた、というのは初めての経験でした」
 強風を凌ごうと、地面に膝と両手をつき四つん這いで踏ん張っても、吹き付ける爆風で体が転がされたという。
 阪田はストックを2本とも飛ばされ、紺野はザックにつけていた銀マットとエマージェンシーシートが飛ばされた。石田は何も飛ばされなかったが、「このまま進んだら身ぐるみ剥がされるんじゃないか……」と感じたという。そのうち「スキージャンプのように、中腰の態勢で風の方向に進めば下れる」とコツを掴み、やっとの思いで薬師岳山荘に到着した。
 「薬師の山頂で17時半くらいだったので、18時までに小屋に着いてご飯を食べよう、と話していた。小屋に着いたら17時58分で、すぐに(食事を)注文しました(笑)」
 小屋では先行していた望月が待機していた。この後、全員の無事が確認できるまで小屋で待機という特別措置が取られた。

 翌朝、「普通の暴風雨」(石田)に収まったところで行動再開。石田は望月、阪田、紺野とともに槍ヶ岳まで進み、上高地をめざした。
 それまで、「上高地に着いたら生姜焼きを食べよう」などど、和気あいあいの雰囲気だった。上高地の小梨平で食事後、4人が食べている間に飴本義一と船橋智が先行したことを知った。「上高地事件(笑)」と石田は振り返る。
 「けっこう大事件でした。あそこで望月さんは完全にスイッチが入った。阪田くんも気合いが入って。自分も、まずは飴本さんたちに追いつこうと、相当無理しましたね」
 実は、先行しているはずの飴本と船橋は、ほどなくして休息をとっており、早々に抜き返していた。「このときに無茶したことが、後半に響いた」と石田は振り返る。


中央アルプス・宝剣山荘にて(写真=藤巻翔)

 

 中央アルプスからはペースを落とし、高山病が出ないように気をつけながら進んだ。南アルプスに入ると、膝の痛みに見舞われた。
 「一時は痛みで完全に曲がらない状態だった。南の前半は足を引きずって歩いていました」
 痛みに耐えながら進むうちに、いつの間にか、動くようになっていた。
 「南アルプスもけっこう暴風雨で、雨が冷たかったので、アイシング効果があったのか、痛いは痛いんですけど、曲がるようになりました」
 茶臼小屋に着いたときは「ここまで来たら高山病の心配はない」と、完走への手ごたえを感じた。
 そして畑薙第一ダムからのロード。睡眠不足、疲労、下山したことによる安堵感も手伝ったのか、「眠りながら」進んでいた。何度もガードレールにぶつかり、それでもまた眠りながら、歩みを続けた。


最後のロード区間、富士見峠付近を前進する石田(写真=藤巻翔)

 

 井川オートキャンプ場を過ぎ、夜明けを迎えると、調子が上向きになった。
 「そこまでボロボロだったけど、急に走れそうな感じになった。山の上で若干、苦しかったのと膝の痛みで、ペースを落としていたので、余力があったのかなと」
 富士見峠で足裏のマメの処理を施すと、その後はゴールまで「ほぼ走った」(石田)。そして、静岡市内のスポーツショップ・アラジンの前で、阪田に追いついた。
 どちらかが「一緒に行こう」と言ったわけではない。自然と「いつものような感じで」並んで走り出した。
 「先に行っていいよ、とは言われなかった(笑)。やっと来たか、当然一緒に行くよな、みたいな感じでした」

 


阪田と並走しながら、大勢の応援者が待つ大浜海岸へ(写真=宮上晃一)

 

 2人で大浜海岸へ――。
 ゴールでは大応援団が、手作りのボードを用意して待っていた。
 「やっと、ここまで来られた、と。それまでは、ゴールしたら相当感動するんじゃないかと思っていた。実際には、ホッとした気持ちのほうが大きかったですね」



悲願のゴールに「安堵した」と石田(写真=小関信平)

 

 そして今、気持ちは4度目のTJARに向いている。
 「完走できてやり切った感はあるけど、台風の影響で剱岳を回避したり、薬師岳山荘での待機もあった。フルでやっていない、という感覚があるので、ちゃんとフルのコースで完走したいですね」
 年末年始には、阪田との恒例企画となっている「NTT(名古屋 to 東京)」(370km)を踏破。これもTJARのためという位置づけが大きい。
 呼吸筋を鍛えるトレーニングも継続している。
 「実は、TJARが終わって報告会の前に、ミウラドルフィンズに行って測定してもらったら、肺年齢が60歳台に上がっていました(笑)。吸い込む力、肺活量は上がったけど、吐き出す力がまだ弱いらしくて。バランスも重要だと言われました。毎朝、吸うのも吹くのも続けているけど、今は、吹くほうを強化しています」 
 TJARのための努力は惜しまない。それだけの価値を感じているからだ。TJARについて、石田は「こんなにおもしろいレースはない」と言う。
 「ここまでワクワクするレースは、他にないんですよね。TJARは、まず出られるかわからない。出られたとしても何が起こるかわからないし、完走できるかもわからない……。そういう難しさがおもしろいし、楽しい」
 今年は職場の夏休みが1週間ずれていることが懸念材料だ。抽選も免れず、100%出場できる保証はない。「保険として」、石田は自身初の海外レースとなる「トルデジアン」にエントリーした。それでも、あくまで優先するのはTJAR。その先に見据えるのは「6日間以内でのゴール」だ。


■石田賢生(いしだ・けんせい)  写真=小関信平
1976年生まれ。静岡県出身・在住。中学・高校時代は帰宅部。高校卒業後はバイク旅に熱中。06年、佐賀県嬉野温泉で阪田啓一郎らと出会ったことで「嬉野すり~☆」を結成。富士登山競走を皮切りに、各地のトレイルレースに出場するようになる。TJARは2010年、12年、14年3大会連続出場(10、12年はリタイア)。職業はシステムエンジニア。
<主な戦績、記録>
富士登山競走 3時間56分21秒(08年、第61回)
日本山岳耐久レース 8時間52分12秒(15年)
UTMF 25時間25分5秒(14年)
フルマラソンベスト 3時間3分35秒(16年静岡マラソン)


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