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2019年のスカイランナー・ワールド・シリーズにおいて、見事年間チャンピオンに輝いた上田瑠偉。日本を代表するトレイルランナーの上田を惹きつけ、世界の頂点にまで導いたスカイランニングの世界とは。陸上長距離というフィールドでは芽が出なかったひとりの少年が、世界一になるまでを、改めて振り返る。
都大路の夢破れた少年が、
10 年後、スカイランニングの舞台で吠えた。
そして涙した・・・。

1km のラップは、3 分を切っていた。

スカイランナー・ワールド・シリーズの年間王者を決める2019シーズン最終戦「リモーネ・スカイマスターズ」にて。年間ランキングを決するシリーズポイントにてわずか10点差で1、2 位を争う上田瑠偉とオリオル・カルドナは、最終戦となった「リモーネ」のファイナルセクション、山々を抜けてフィニッシュゲートへと続く舗装路パートにいたってもなお、僅差でしのぎを削っていた。

ここで先着したほうがシリーズ覇者に輝く。逃げるは上田、追うはオリオル。奇しくも2019 年開幕戦となった粟ケ岳と同じ展開だ。このときは上田が9 秒差で逃げ切っている。この土壇場でもその再現ができるのか、それとも…。

山岳フィールドを舞台とするスカイランニングやトレイルランニングでは、GPS 機能付きの腕時計で走行データのログを残すことが一般的だ。上田もガーミン社の時計を使用し、記録を残している。それを見返してみると、リモーネでの最後の1km は3 分を切る超ハイスピードで駆け抜けていた。それまで26km、標高差で2600m を3 時間かけて駆け抜け、最後のダウンヒルでは自分史上最高の下りで疾走してもなお、ゴール手前のアスファルト区間では、ゆるやかな下りとはいえフルマラソン日本記録並みのペースを刻んでいたのだ。

上田瑠偉の原点は、駅伝部で日本一を目指すも
遠くかなわなかった高校時代にあった

トレイルランナーであり、近年はとりわけスカイランニングのカテゴリーで活躍する上田のフルマラソンベストタイムは、2016年のおきなわマラソンで記録した2時間28分だ。競技として本格的に取り組む陸上競技者、マラソンランナーとしては凡庸なタイムだ。実際、陸上競技ではちょっとした挫折を経験している。

日本サッカー界の伝説的名選手・ラモス瑠偉から名前を授かった上田少年は、小・中学とサッカーに魅了されていた。転機が訪れたのは中学3年の秋で、当時の佐久長聖高校駅伝部を率いていた両角監督(現東海大学陸上部駅伝監督)にスカウトされたのだ。悩んだ末、サッカーよりも日本一に近いだろうと感じた陸上長距離の道を選ぶ。ちなみに上田が入学する直前の2008 年全国高等学校駅伝競走大会では、村澤明伸・大迫傑らを要するメンバーを擁し、当時の高校記録となる2時間02分18秒(42.195km、7区間)で初優勝を果たしている。そしてまた進路を定めた上田も、入学前に開催された全国都道府県対抗男子駅伝競走大会において長野県チームの中学生代表に選ばれ、大会新記録(当時)で優勝している。

このまま高校でも都大路(全国高校駅伝競走大会の通称)のメンバーを勝ち取り、日本一に輝きたい。上田少年は日本一を現実的な目標としてモチベーションを高ぶらせ、高校へと進学した。「逃げ場をなくして陸上へと打ち込むやめに」と、学年責任者にも立候補した。

中学生時代の記録すら上回れなかった、
暗黒の高校寮生活

しかしそれがある意味ではアダとなる。貧血や腸頸靱帯炎、腓骨の疲労骨折など満足に走れない日々が待っていた。一方で同級生は順調に記録を伸ばしていく。3年時にはキャプテンになったが、走れるようになっては故障してを繰り返す身では中学時代のベストタイムの更新すらままならず、都大路のメンバー選考でも補欠にも入れなかった。

「最終学年の都大路は過去のワーストタイム・ワースト順位となってしまいました。キャプテンなのに走ることではチームに何も結果を残せず、このときの経験というか悔しい気持ちは今も忘れていません」。

大きな挫折を経験することになったが、走ること自体は変わらず好きだった。早稲田大学に進学すると、今度は自分のペースで走り続けようと陸上競技同好会を選択する。走ることが好きだからこそ、自己判断・自己責任のトレーニングは苦ではなかった。ウルトラの分野にも興味を抱き、10 代最後の記念にと100km マラソンに出場。そこで現在も手厚いサポートを受けるアウトドアメーカー・コロンビアの担当者の目に留まり、トレイルランニングの舞台へと足を踏み入れる。すると不思議とトラック種目の記録もぐんぐんと伸び、5000mでは14分台のタイムを叩き出すまでに。そしてトレイルの世界においては

天性の登坂力が大きく花開く。

MORE SKY、
MORE SPEED!!

スカイランニングは、トレイル(山道)を舞台とするレースのなかでも、とりわけ急峻な山岳を駆け上がり、駆け下るスピードを競う競技である。その原点は標高2000m以上の高所山岳、もしくは急傾斜の山岳におけるランニング形式の快速登山を指す。

「最高峰の頂へ、谷や海から、街や村から、どれだけ短い時間で登ることができるだろう」。

タイムレースではあるものの、陸上競技というよりはむしろ、登山。ある意味、ごく当たりまえともいえる衝動に突き動かされているだけなのだ。

1992年、イタリアの登山家マリーノ・ジャコメッティにより、世界中で自然発生的に開催されていたこの種の競技が「スカイランニング」と定義づけられ、1998年にはイタリアで第1回世界選手権が、2003年からはスカイランナー・ワールド・シリーズがスタートする。2008年からは現在の国際スカイランニング連盟(ISF)へと組織を刷新し、現在は50を超える国と地域が加盟するまでになっている。2016年からは国際山岳連盟(UIAA)とパートナーシップ協定を結び、将来的な五輪種目入りも視野に入れている。

上田がスカイランニングに出会ったのは2015 年のことだ。そしてそれは世界との出会いにもなる。

スカイランナー
上田瑠偉ができるまで

国際的な競技発展の流れを受け、2014年には日本スカイランニング協会(JSA)がISFへの加盟を果たす。そして2015年からは国内の既存山岳レースと連携し、認定をすることで、日本選手権およびスカイランナー・ジャパン・シリーズが本格的に立ち上がる。

そのうちのひとつに、「菅平スカイライントレイルレース」があった。

当時21歳で、2014年に歴史ある日本山岳耐久レース(71.5km)を大会記録で優勝していた上田は、大学在学最終年度の取り組みの一つとして「たまたま」このレースにエントリーしていた。持ち前のスピードをいかんなく発揮してライバルたちをぶっちぎった上田は、スカイと呼ばれる中距離カテゴリー(当時)の初代日本選手権覇者となった。そして2016 年のスカイランニング世界選手権の代表に内定したのだ。

スカイランニングの世界選手権は2年に一度開催される。2016年はスペイン・ピレネー山脈のバルデボイで行われる「エピック・トレイル」が選ばれていた。ここでスカイランニングの国際戦デビューとなった上田は、バーティカルと呼ばれる標高差1000mを一気登りするカテゴリーで10位、42kmのスカイマラソンで12位というリザルトを残す。

「実は大会の数週間前にアキレス腱を痛めてしまい、日本を発つまでほとんど走れない状況でした。結果としては差があったけれど、もし万全の状態だったらどこまで通用したんだろう、と」。

頂点の高さを味わい、
でも視界の片隅にとらえた3年後、
いよいよ高みへと登るシーズン

そしてときは流れ、スカイランニングを主戦場に見定めたプロランナーの上田は2019年のシーズンを迎える。世界選手権が開催されないこの年、まずはワールド・シリーズの初戦で自身初優勝を果たすと、その後も優勝1回を含む複数の表彰台を記録、シリーズ対象レースのうち結果のいい5レースの合計ポイントで争われる年間ランキングで頂点を狙える位置に。最終戦の「リモーネ・スカイマスターズ」を迎えた時点で490ポイント、ランキング1位のオリオルは500ポイントだった。同世代の2人にとっては先んじた方が相手より上のランキングへ、他に全部で数名が年間王者の可能性を残す接戦のシーズンとなっていた。

1年間通して戦い抜いた、
たった12 秒差のゴール

距離27km、累積標高差2600m という『リモーネ・スカイマスターズ』のコースプロファイルは、上田が得意とする類のものだった。いつもより1週間早い大会10日前には現地入りをし、入念にコースを試走した。コース全体を通して大きなピークが3つほどあるため、1つめのアップダウンで足を使ってしまうライバルを相手に、2つめの登りで仕掛けようと目論んでいたが、実際には最初の登りでトップに立った。

「100kmや100マイル(160km)といったウルトラトレイルは、どちらかというと自分との戦いという側面もあり、レース中でも一人旅の時間が多くなります。長いぶんゴールしたときの達成感はもの凄いものがあります。対してスカイランニングは、僕にとっては出し切って終われるちょうどいい距離カテゴリーで、よりコンペティティブ。数分差の内にトップ5、いやトップ10 までがゴールすることもザラで、フィニッシュゲートをくぐるまでずっとバチバチしています。少しでも気を抜いたら簡単に順位が入れ替わってしまう。それをこんな大自然のフィールドのなかで、ちっぽけなランナーが死力を尽くして競い合って。観戦する方はハラハラドキドキできると思いますが、やっている方もワクワクするんですよ。もちろんときには悔しい思いもしますけど」。

高校時代のことを思い返せば、自分の体を五体満足で動かせるというだけで喜びがある。そこに加えてトレイルならではのいろんな起伏があり、それもヨーロッパの開けた山脈での絶景のなかでなのだから、ランニングの楽しさは倍増している。

「ヨーロッパ勢は環境面のアドバンテージがあるからか、ガレた下りをものともせず突っ込みます。自分の武器は登りのスピードで、そこでは無理のないぺースでリードを奪える自信がありますが、自分はまだまだ下りが成熟していない。だから、追い付かれる可能性があるとしたら下りだろうなとは予測していました」。

上田曰く、「リモーネ・スカイマスターズ」での最後のロングダウンヒルにおけるパフォーマンスは「自分史上最高の下り」だった。極限での競り合いと、通常よりも余裕を持った日程で開催地へと入りコースを下見した成果、それからピタリとハマったピーキング。でもなお、山岳スキーで鍛えた下りを武器とするオリオルは上田を捉えた。抜かせまいとトレイルの中央を駆け下る上田の背後から、思いもよらないような脇の斜面を突き、抜き去った。雄叫びを上げながら。

スカイランニングの本場欧州でレースコースとなるようなトレイルは、不規則な岩々が行く手を阻み、瞬時に足の置き場を見極めてライン取りしなければ大幅な減速を余儀なくされるようなテクニカルな斜面が多い。そこでは度胸だけでなく天性のバランス感、スキルがものをいう。ある種のモータースポーツに近いかもしれない。そこでのスピード差は絶対で、スパートする余力やメンタルの引き出しをフルオープンさせてどうこうなるものではなく、一度抜かれたらそのセクションのうちに追いつき、ふたたび抜き返すような展開は、ほぼ、起こらない。

それでも。この一年で積み増してきた自信と武器、靱帯をケガする前から世界を見据えて取り組んできたもののおかげで、この日の上田は一度抜かれても折れなかった。

リバウンドメンタリティ。

これは鍛えるだけで得られるものではない。でも、鍛えることを抜きにしては得られない。高校時代の不遇、2018年の靭帯部分断裂。何度も挫折を味わった日々が確たる芯になっているのかもしれない。

「2017年にワールド・シリーズへと初参戦したあと、翌2018 年からパーソナルトレーナーとのフィジカルトレーニングに可能性を感じ、臀部を中心とした筋力アップに努めてきました。フィジカルトレーニングのいいところは、出来ることが目に見えてレベルアップしていくところ。その年は結局夏場にケガをしてシーズン後半を棒に振ってしまいましたが、一方で成長しているという実感が得られていました。当初は下りのレベルアップを意識してのものでしたが、直接的にはもともと強かった登りの力がさらに増したというのが一番でしょうか。そのおかげでレース中もピークまで余力を持って登り切れるので、その後の下りに入る段階でも脚が残せるんです。以前は下りで抜かれるとメンタルが折れてしまうことがありましたが、このときもまだ脚には余裕があったので、なんとか切り替えて必死に喰らいつきました」

オリオルに先頭を譲ってほどなく、長かったダウンヒルセクションが終わった。気持ちを入れ替えた上田はその先のちょっとした登り返しでオリオルを捉え、抜き返すと、あとはただただ全力で逃げた。そこで叩き出されたラップが1km3 分を上回るペースだ。しかしオリオルも離れない。2019年のシリーズで何度も繰り返された2 人のファイナルバトル。果たして勝者は?

3時間以上走って、わずか12秒。

上田とオリオルのコンペティションは、近年稀にみる僅差での決着だった。スカイランナー・ワールド・シリーズにおいて、欧州出身者以外がチャンピオンになることは快挙だったと言っていい。

声にならない何かが喉を貫いた。熱いものが自然とこみあげてきていた。

陸上競技の現役ランナー
たちに伝えたいこと

世界一となった上田に、かつての自分と同じ、陸上競技に打ち込む現役の学生ランナーに何か伝えたいことはないかを聞いてみた。

「まずはスカイランニングという世界もあるというのを、自分の走りを通じて知ってもらえたら嬉しいですね。中には長距離走が得意だから陸上部に所属しているという方もいると思いますが、もしも走ることそれ自体が好きなのであれば、スカイランニングをやることでもっと走ることが好きになれるのではないでしょうか。自分の得意な走ることで、こんな壮大な景色を見られるわけで」。

本場欧州のスカイレースでは、標高2000mクラスの開けた山岳フィールドが舞台となる。空と大地が出会う場所を駆け抜けるので、絶景のなかで競い合うことになる。

そもそも上り・下りが混在するコースだから、得意・不得意によってフラットなロードよりもシンプルに順位が入れ替わりやすい。コースプロファイルによっても展開が変わり、同じ距離・累積標高であろうとも、ピークの数が1 つか複数かでまた順位が入れ替わる。だからこそコンペティションのドラマにも機微があり、振れ幅も大きい。変わらないのは、できるかぎり一瞬たりともアクセルを緩めることはできないということ。走り続けることには変わりなくても、陸上競技と違って、要求される動きもレースの展開もバラエティに富むこととなる。

人によってはこっちの方が楽しいはずだし、花開くかもしれない。

その逆もまた真なりで、フルマラソンよりも長い競技時間になるのだから、走ることが得意という以上に「好き」でなければ走り切れないだろう。その部分に関して、上田は、並大抵のランナーには負けてはいない。だからこそスカイランニングの世界でここまで駆け上がってきた。

2020年、今の上田が
考えていること――

2016年、スペインの「エピック・トレイル」ではじめてスカイランニングの世界の舞台に立った上田は、2019年ついに年間シリーズ王者へと輝いた。

ただ、2019年のシリーズ戦に参戦していなかった実力者はまだ何人もいる。上田本人も、シリーズ王者としての手応えこそあれど、自分が世界の誰よりも速いとは微塵も思っていない。過小評価はしないけれど、無謀な目標も立ててはいない。

現時点で上田が思い描く未来予想図は次の通りだ。

・2020年 スカイランニング世界選手権 3位以内
・2021年 トレイルランニング世界選手権 優勝
・2022年 スカイランニング世界選手権 優勝

この目標を果たすため、さらにはその先までを見据えているからこそ、この春からヨーロッパアルプスの麓町シャモニーへの移住を計画しているという。

スカイランニングの世界選手権は2年に一度行われる。

2018年は靱帯のケガで出場が叶わなかった。

2020年の舞台は、4年前と同じ、スペインの「エピック・トレイル」である。

PROFILE
RUY UEDA
上田瑠偉
1993 年、長野県生まれ。コロンビア モントレイル所属。早大陸上同好会在籍時にトレイルランと出会い、2014年の日本山岳耐久レースを大会記録で制する。2016年にスカイランニング世界選手権スカイマラソンで12位、ユース世界選手権優勝。CCCで2位。その後も世界の舞台で活躍を続け、2019 年はスカイランナー・ワールド・シリーズで年間チャンピオンに輝く。
<2019 スカイランナーワールドシリーズ 上田瑠偉 戦績>
・Mt.Awa Skyrace 優勝 
・Transvulcania Ultramarathon  DNF
・Livigno Skymarathon  優勝 
・Buff Epic Trail  4 位 
・Royal Ultra Sky Marathon 3 位 
・Matterhorn Ultraks Extreme  DNS
・Sky Pirineu 4 位 
・The SkyMasetes  優勝